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“わけあってまたすれ違っちゃいます 戻る気はあるから待っててちょうだい 11:20 ゆあさ”
 窓越しの景色は痛いくらいまぶしいのに、バンガローの中には闇が居座っていた。ガラスを透した陽が逆光となり、メッセージボード代わりのかまぼこ板に強い影を作っている。そこに書いてある文字を見つめながら、長谷ナツキ(女子11番)は呆然と棒立ちしていた。
 それはつい半日前に同盟を結んだ仲間、湯浅荘吾(男子18番)が残した書き置きだった。まさかそれが最後の伝言になろうとは、彼自身も想像していなかっただろう。ナツキとの再会を微塵も疑っていない、そんな潔さが一字一句から滲み出ていた。
 だがあろうことか、荘吾の名前は正午の放送で呼ばれてしまったのだった。このキャンプ場へ帰ってくるという約束は宙ぶらりんのまま放置され、ナツキを侵す毒に成り代わりつつあった。
「湯浅のばか」
 勝手に先立ってしまった荘吾に対し、うつろに不平をもらす。だがもちろん、それが八つ当たりに過ぎないことをナツキは承知していた。体中が銅像になったみたいに凝り固まっていたが、どうにかして頬に自嘲を浮かべる。
「ごめん、違うね。ばかはわたしだ」
 言葉にした途端、瞳の奥から痛みを伴い、涙があふれ出してきた。
「もしわたしが大人しく待ってたら。もっとはやく帰ってきてたら。こんなことにはならなかったよね? 会えた。話できた。死ぬことなかった……!」
 ナツキがバンガローへ戻ってきたのは放送開始直前のことだった。書き置きにもあるように、荘吾はその3、40分前まで確実にここにいたのだ。部屋の中から気配が消えきらないうちに、彼は帰らぬ人となってしまった。温度や匂い、それらの生々しい名残に追い詰められ、ナツキはしゃがみ込みながらさらに咽んだ。
 八重歯の見えるほがらかな笑顔が脳裏に浮かぶ。頭を撫でる柔らかな感触がよみがえる。ころころと色の変わる、感情豊かな声が胸を打つ。途方もない寂しさが押し寄せ、体を飲み込もうとする。あの荘吾がもういない。いないのだ――。
 ナツキはそれから、たっぷり15分は膝に顔をうずめて泣いた。腕や膝小僧がすっかり濡れそぼってしまったが、気にすることなく泣いた。しゃくりあげすぎて息が切れかけ、ずっと同じ体勢でいたために足が痺れた。そういう現実的な感覚をわずかながら認識できるようになってきたころ、ようやく視線を上げた。
 そこではじめて、足元に何かが置かれていることに気づいた。朝の時点ではなかったはずのものだ。水量がある程度ひいたこともあり、ナツキはしばらくぶりに荘吾以外へ関心を向けた。
 それは紙袋だった。お土産でも入れるための袋なのか、全面に豪快な筆文字で“廣しま”と印刷されている。喉はいまだひくついていたが、好奇心に従い紙袋を覗いてみた。
 まず目に入ったものは、水らしい液体が入った2リットルほどのペットボトルだった。それからクッキーやチョコなどのお菓子がめいっぱい。それらに紛れるようにして、ラップに包まれたおむすびがひとつ。そして、小さなメモ用紙だ。そこにはかまぼこ板に書かれた文字と同じ、縦長の筆跡でこう書かれていた。
“おなかすいてたら食べてね(毒とか睡眠薬なんかは混ぜてないから安心しな)”
「湯浅……」
 それは荘吾から贈られたナツキへのプレゼントだった。
 考えてみれば、プログラム開始直後にパンを食べて以来なにも口にしていない。夜のうちはずっと寝ていたし、朝になってからは荘吾を捜すのに夢中だったため、食事のことをすっかり忘れていたのだ。そういえばもう昼ごはんの時間だな、と認識した途端、腹がぐるぐる鳴きはじめた。
 ナツキは腕でごしごしと目を拭い、おむすびを手にとった。おそらくは荘吾の手作りなのだろう。さすが手先が器用なだけあって、それはきれいな正三角形をしている。海苔は巻いていないし中に具が入っている様子もないが、食欲をそそるには充分だった。
「毒や睡眠薬ってなに? 疑うわけないのに」
 末尾に添えられた注意書きがいささか不思議だ。もしかすると荘吾は、ナツキに少しの不安も与えたくなかったのかもしれない。そういう細やかな気遣いが嬉しく、切なかった。
 こんなにも優しい。こんなにも自分を大事に思ってくれる。そんな素晴らしい仲間は、命を永遠に失ってしまった。
 また涙がこぼれそうになったが、両頬を叩いてなんとか引っ込めた。荘吾の置き土産を味わうためには泣いてなどいられない。ナツキは板張りの床にあぐらをかき、いただきますと一礼したあと、おむすびにかぶりついた。
「うまい。うまいよ湯浅」
 すっかり冷めているはずなのに、口から体全体へ、温かさが広がっていく。じっくりと時間をかけて噛み締め、手に付いた最後の1粒を飲み込んだあと、やっぱりもう1度泣いた。
 当然ながら、この6時間で死んだのは湯浅荘吾だけではない。先ほどの放送によると、生きている人数は元の半分になったのだという。つい昨日みんなで楽しく肉じゃがを作っていたのに、あの賑やかな3組へは決して戻れないのだ。賑やかすぎて先生に怒られることもしばしばだったが、本当に、本当に大好きなクラスだった。――いや今でも、現在進行形で大好きだ。
 だからナツキは、みんなと会いたかった。みんなが揃ったところを自分の目で見たかった。“みんな”の対象は生存者に限ったことではなく、すでに亡くなった生徒をも含めてのことだった。
 そう、ナツキは湯浅荘吾と決めたのだ。クラス全員を集めよう、と。その誓いを体現するため、ナツキはすでに動き始めていた。
 荘吾のくれた水で少しばかり顔を洗い、きっぱりと気持ちを切り替えたナツキは、外の藤棚へ足を運んだ。そこにはわずかだが、クラスメイトが集まってくれているのだった。
 藤棚の下には、ナツキがバンガローで見つけてきたビニールシートが敷かれている。その上に3人の男女が横たわっていた。津丸和歌子(女子6番)、それから左右田篤彦(男子9番)伊藤ほのか(女子2番)だ。
 彼らはナツキが荘吾捜索の道中に偶然遭遇し、ここへ連れてきた生徒たちだった。残念ながら3人ともすでに天に召されている。和歌子は頭に殴られた痕が、篤彦は額に小さな穴が、ほのかは胸の辺りに大きな裂傷があり、おそらくはそれらが命を奪ったしるしなのだろう。傷痕たちは体の芯が震えるほどに恐ろしい形をしていたが、ナツキは目を逸らさなかった。再会できた人物が生きていようがいまいが、クラスの仲間には変わりないのだ。ナツキは文字通り、クラス全員をこのキャンプ場に集めようと決心していた。
「湯浅のことも絶対見つける。ここに戻ってくるって約束、破らせないから。わたしが湯浅にしてあげられること、それしかないから」
 ひとつ伸びをして、花の甘い香りを肺いっぱいに吸い込む。真昼の太陽を背にした藤は、まるで笑うようにきらきら揺れた。隙間から漏れる光は眠れる3人に降り注ぎ、クラスメイトたちの肌をいきいきと輝かせた。桜ではないが、ここでお花見をすればきっと気分がいいことだろう。
「天気最高! 今日はいいことがありそうだ。ね、みんな」
 もう彼らと笑いあうことはできないのだと思うと、やはり悲しくならずにはいられない。どんなに苦しかっただろう、どんなに無念だっただろうと思うと、やはり胸を痛めずにはいられない。生きていることと死んでいることの間には到底手に負えない隔たりがある。それはわかっている。
 だが、絶望するにはまだ早かった。たとえ肉体は機能を停止してしまったとしても、魂はまだ近くにいるような気がするのだ。彼らが元気を取り戻してくれるくらい、せめて自分だけでも明るく振舞おうと思った。
「待っててね。いまにみんなと会えるよ!」
 和歌子、篤彦、ほのかに向かい、力強くガッツポーズをみせる。ナツキはデイパックを背負いなおし、クラスメイトとの出会いを求めて広場を飛び出した。
【残り19人】