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43
 西村美依(女子9番)は、沿岸道路沿いに立てられている青いトタン塀の内側で息を潜めていた。“廃棄物処理場”という看板が貼り付けられた横、朽ちて自然に開いたらしい小さな穴を覗くと、はるか遠くに人影が見えた。光り輝く海を背負い、確実にこちらへ向かってきているその人物は、湯浅荘吾(男子18番)に違いなかった。ピンク色のアロハシャツが太陽に照らされ、景色から浮き上がっている。
 荘吾が歩いてきた方角、この道路をずっと行った先にはキャンプ場があるはずだった。どうやら、美依たちへ告げた目的地に嘘はないようだ。だが荘吾の近くに長谷ナツキ(女子11番)の姿は見当たらず、彼女が戻ってくる予定のお昼には、まだ少し時間が足りない。ナツキを老人ホームへ連れてくるという約束はどこへ消えてしまったのだろう。
 荘吾の足取りはごく軽いものだった。焦燥しているように見えなくもないが、むしろ上機嫌といったほうが適切だ。双眼鏡でよくよく観察してみると、驚いたことに口笛を吹いていることがわかる。やがて、かすかながらそのメロディが聞こえてくるようになった。それは音楽の教科書にでも載っていそうな毒気のない曲調で、聴き覚えも確かにあるのだが、美依は何の歌なのか思い出せなかった。
 そうやって順調に美依との距離を縮めていた荘吾だったが、ふと右手の武器探知機を見て立ち止まった。こちらを窺っていることからして、おそらく機械に美依の武器が反応したのだろう。様子見はこのあたりで終わることにする。
「あ、西村ちゃん?」
 塀の陰から人が現れたことより、それが美依だったことに荘吾は戸惑っているらしかった。一瞬だけ苦笑めいた表情を口元に走らせたあと、「どしたの」と優しげに尋ねてくる。
「ナツキは?」
 美依は大きく息を吸い込み、ゆっくりと口を開いた。荘吾はいかにも残念だというふうに首を振った。
「いなかったんだ」
「お昼までまだ時間があるけど?」
「お嬢さんがたのことが気になって、戻ってきちゃった。大丈夫、ナッちゃんには書き置き残しといたから」
 荘吾はもっともらしいことをさらりと言いのける。胸にこみ上げてくる嫌悪感を抑えながら、美依は事実を述べた。
「亜央ちゃんと絹代ちゃんが寝ちゃったんだけど」
「あれま。疲れちゃったかな。西村ちゃん、さぞかし心細かったことだろうな。だから追っかけてきたの?」
 そのわざとらしい気遣いがいよいよ頭にきたため、今度は口調にはっきりと怒りを表した。
「見つけた、睡眠薬の箱」
 聞き間違えようがないほど明瞭に、明快に発音してやった。荘吾は眉を持ち上げ、しばらく美依の顔を見つめていたが、やがて決まりが悪そうに頭を掻いた。
「調べはついてるってわけね」
 証拠を見つけられたとあっては、これ以上白を切るつもりもないようだった。美依はすべてを追及しようと勢い込んだ。
「あたしたちをどうしようって魂胆?」
「……と、その前に。確認したいんだがな」
 質問に答えないまま、つりあがった目が挑戦的な色を宿した。眉根を寄せる美依にかまわず、荘吾は武器探知機をひらひらさせた。
「さっき言ってたよね、西村ちゃんの武器がそれだって」
 細く長い人差し指で美依の胸元にある双眼鏡を指し示す。美依は相手の片頬に浮かぶ笑みを見ながら、背中に冷や汗が噴き出すのを感じていた。いきなり持ち出されたその話題に、足をすくわれるような予感がしてならなかった。
「でもなあ。ってなるとちっとおかしなことになるんだよな」荘吾はアロハの胸ポケットから白い紙を取り出し、片手で広げてみせた。「だって、双眼鏡なんて支給されてないじゃない」
 それを見た途端、眼球の奥が一気に熱くなった。紙の上部には“支給武器一覧”と印字されており、その下に様々な道具の名前が書き連ねてある。木下亜央(女子3番)の持っていた“脇差”や、高橋絹代(女子5番)の“剣”(括弧付きで“伝説の剣・エクスカリバー”と注釈が添えられている)という文字も見受けられた。
「なにそれ……! そんなの隠し持ってるなんて」
「先に隠したのは西村ちゃんでしょ」
 荘吾はすぐさま相手の粗を指摘する。美依は奥歯を噛んだ。真実を突きつけられてしまっては返す言葉もない。
「真面目な話、男も女もみんなみんな、西村ちゃんのこと大好きだよ。かわいくて楽しくて。もちろん俺もな。だから、西村ちゃんのことはこれっぽっちも疑ってなかった。……双眼鏡、まではね」
 老人ホームで武器の話になったとき、荘吾が何かに勘付いたと感じたのは思い過ごしではなかったのだ。荘吾は緩やかに美依の周りを歩きつつ、滔々と続けた。
「ちっとばかし悩んだよ。なんで西村ちゃんは双眼鏡なんて持ってんのかって。私物じゃない。そんなでっかいもん、ポケットに入れようったって入んない。わざわざこの島で仕入れたんだ。なぜか? クラスのやつらを見つけるため? それとも、政府さんがくれた武器がしょぼかったから武器代わりにしようって? それで殴ったら結構やばそうだしな」
 美依は手を固く握り締めながら、荘吾がごみ処理場の入り口に到達するのを見届けた。荘吾のおしゃべりは歌のように滑らかで、美依を狼狽させるのに充分な力を持っていた。
「それを何に使うのかはよくわからないが、隠し事をしたのは厳然たる事実だ。西村ちゃんは俺らのこと信用してないんだなって思ったよ。ココアとかカレーに毒が入ってるんじゃないかって警戒してたもんな」
 額にまで汗をかきはじめていた美依だったが、そこでふと、あれ、と思った。荘吾の作ったカレーはともかくとして、亜央のココアを飲み渋ったのは演技だ。それを荘吾は見破りきれなかったのだろうか。
「ここにいるってことは、結局カレーも食べなかったんだよな。一応にこにこはしてたけど、ほんとは仲間になる気なんてぜんぜんなかったんじゃないの? 隙あらば逃げるつもりだったとか? それどころか、殺すつもりだった?」
 荘吾は畳み掛けるように美依へ言葉をぶつけた。こうして相手を追い詰めることで、一度移りかけた主導権を再び握ろうということなのだろう。美依が口を利かないでいると、さすがに気が咎めたのか、軽く首を振った。
「ごめんごめん、撤回。殺すつもりは言い過ぎたよ。西村ちゃんがそこまでぷっつんきちゃってるなんて思ってない。でも、腹に一物抱えてるのは確かだよな」
 湯浅荘吾は目の前にいる人物を見くびっている。だから、カレーを食べたかどうかきちんと確認しなかったし、悪事の証拠である睡眠薬の処理を怠ったのだろう。美依が真実を隠したことも、せいぜい、か弱い女の子が恐ろしさのあまり保身に走った、くらいにしか考えていないのかもしれない。このままこちらのことを甘く見続けるとするなら、油断ついでになにもかもをぺらぺらしゃべってくれるかもしれなかった。
 本気なのか演技なのか自分でも判断がつかなかったが、美依は肩を震わせ、呼吸を次第に荒げていった。
「い……いまは、あたしのことじゃなくてあんたの話をしてるんでしょ? あたしたちをどうする気だったのかって聞いてるの!」
「聞きたい?」
 荘吾は意味ありげににやつき、短く口笛を吹いた。
「最初から順を追って話そうかな。俺はね、鞄から探知機ちゃんが出てきてから、どう使おうかっていろいろ考えてた。武器をかき集めて武装しようかとか、逆に人を避けて避けて、最後のひとりになるまでひたすら待とうかとか、いろいろな。でも、どれもこれも時間がかかりそうでいまいちだった」
 話から推測するに、荘吾ははじめから優勝する気満々でいたようだ。クラスメイトに情の薄い、利益優先の湯浅荘吾らしかった。この男の企みにはもちろん腹が立つが、そういう割り切った考え方に少しばかり尊敬の念を抱いた。
「そんなとき、ナッちゃんと会ったんだ。キャンプ場で。ナッちゃんは提案してくれた、探知機ちゃん使ってクラス全員を探せないかって。その瞬間、それだ! って思ったね。3−3全員集合させて、一気に片付ければ手っ取り早いじゃない、って」
「一気に……片付ける?」
「ああ。けど実際集めてみたら、全員なんてとんでもない、たったの5人でもう空気ぴりぴり、一触即発ムードでな。仲間割れするのは時間の問題だったよ。内輪もめに巻き込まれたらたまんないから、残念ながら、そこで作戦前倒し。せいぜい5、6人ずつってことに変えたんだ」
「5人って、もしかしてもう、“片付けた”、の?」
「まあ、そう言えなくもないかな」
 曖昧な物言いに、ほとほと気分が悪くなった。美依は苛立ちをそのまま口調に表した。
「わかんない。ぜんっぜん話が見えない。一気にってどうやってよ?」
 荘吾はその問いに口笛で返した。はぐらかされたようでかちんときたが、美依はそこではじめて、それが何の曲なのかを思い出した。去年の野外活動のとき、キャンプ場でキャンプファイヤーを囲んで強制的に歌わされた歌だ。瞬間、頭の中に様々な単語が駆け巡る。
 ――キャンプ場。――キャンプファイヤー。――一気に。――片付ける――。
「まさか」
 美依ははっとして、北東の空に今も立ち上る灰色の煙を見上げた。
「そ。名づけて“キャンプファイヤー大作戦”」
 荘吾はごく軽い調子であとを受け継ぎ、ネーミングセンスゼロだな、と自嘲気味に笑った。美依は口をあんぐり開けることしかできなかった。
「作戦名から想像つくかもしれないが、集合場所はキャンプ場にあるバンガローにするつもりだった――木造だからな、燃やすにはもってこいの素材だ――けど、いろいろとわけがあってな。あの煙はちがう場所だ」
 だから荘吾はキャンプ場にこだわっていたわけだ。美依は演技するまでもなく、そのとんでもない告白におののいた。
「5人って……5人って誰よ!」
「あら、それも聞いちゃう?」荘吾は指を折りながらクラスメイトの名前を羅列した。「青木の洸ちゃんに駒澤ちゃん、あとちびっこ3兄弟」
 ちびっこ3兄弟などという呼び名ははじめて聞いたが、その3人に根尾倫香(女子10番)が含まれていることはたやすく想像できた。その倫香を、湯浅荘吾は片付けたのだと言う。かつて美依の友達だった女の子が、どんなに冷たくあしらってもしつこく付きまとってきた彼女が、想像の中で何度も何度も殺したあの倫香が、本当に死んでしまったとでもいうのだろうか?
「でも、あんま上手くはなかったよ。俺はこう考えてた、放送が流れてる最中に火事を起こせば、メモとるのに気を取られてて逃げ遅れるんじゃないかって。けどさすがに甘かった。みんなあっさり現場から脱出してな」
「じゃあ、倫香ちゃんたちは無事?」
 美依が言葉尻にかすかな望みをかけると、荘吾はなんでもないことのように両手を軽く挙げた。
「いや、全員お空に召されちゃった。パニックになって仲間内でやっちゃったり、火事を野次馬しにきた小田くんにやられちゃったり。おっそろしかったよ、まさに惨劇。遠くから見てただけだから詳しいことはよくわかんないけど、それでもしばらく腰抜かしてた」
 美依は体がぐらぐらと揺らいでいる錯覚に浸った。自分がなぜ、倫香の死にこれほど衝撃を受けているのかわからなかった。なんとなく、倫香は死なないような気がしていたからかもしれない。今の西村美依という人間を形成するのに、多大な影響を及ぼしていたのはほかならぬ彼女なのだ。
 そして話が本当だとするならば、この男はすでに死体を見たということになる。死体鑑賞をしたくて仕方がない美依よりも先にだ。愕然とするやら悔しいやらで、脳内はてんやわんやの大騒ぎだった。
「まあ、結果オーライだったわけだが、せっかくの火事も逃げられたんじゃお話にならない。だから次は睡眠薬」
 事の経緯が明かされるごとに、美依の理性は少しずつ削られていく。もし自分が睡眠薬を飲み、知らぬ間に丸焦げになっていたら――。
「なんでよっ! なんでそこまですんの? クラスメイトが死んだとこ見たくせに、まだやろうっていうの? 良心の呵責とかないの?」
 大声を出すことはタブーだとわかっているはずなのに、喚かずにはいられなかった。殺されかけていたことはもちろんだが、それよりも騙されかけていたことが悔しくてたまらなかった。“普通の子”を演じ続け、人の目を欺き続けてきたこれまでの経緯が、自分は騙す立場にあるべきだと訴えてやまないのだ。
 荘吾は美依の剣幕に目を瞬かせつつも、煙のほうへ視線を移した。ぴくり、とわずかに頬の筋肉が引きつる。
「……俺はね。早く家に帰りたいんだ。作りかけのTシャツがあるんだよ。仕上げたくて仕上げたくて、うずうずしてね。こう、気が急くっていうかね。どうにかなっちゃいそうなんだ。人のこと考えてる余裕なんか、ないよ」
 “惨劇”とやらの光景を思い浮かべたのだろうか。それは心なしか、これまでの軽薄な雰囲気とは違う、硬いしゃべり方だった。美依は荘吾の変化に幾分拍子抜けし、あたりをぎこちない空気が流れた。
「ナツキは……ナツキも、その作戦のこと知ってるの?」
 美依から先に気まずさを打開してやると、荘吾は気を取り直したように糸切り歯を見せて笑った。
「いや、話してないよ。俺がひとりで考えたこと。安心しな、あの子は相変わらず、正義の塊だから」
「ねえ、ナツキ、生きてるの? 死んでるの?」
「よくわかんないけど、たぶん生きてるよ。さっき話したよな? はぐれちゃったって。あれ、ほんとなんだ。俺、とぼけるのは得意だけど嘘は苦手でね。ナッちゃんを老人ホームへ連れてこようとしてたのもほんと。女の子同士で仲良く燃えてもらうつもりだった。けど、どうもすれ違っちゃうんだよな。まあ、あんまり進んで殺しちゃいたいとも思わないけど。ナッちゃんは作戦のヒントくれたし、さっき言った5人も高橋ちゃんたちも、ナッちゃんの名前出したことで信用してくれたみたいなところがあったしな」
 荘吾は言いながら、散歩でもするような気軽さで廃棄物処理場へ入っていった。すたすた歩く荘吾につられて、美依は思わずそれを追いかけた。
 塀の中には、廃車や材木、家具などが美依の身長より高く積まれており、地面にも空き缶や瓦などが散乱している。処理場と銘打ってはあるが、なんだか不法投棄の温床といった印象だ。ちょっとした地震ですぐにでも崩れそうな危うさがあるものの、この場所でかくれんぼをすればきっと楽しいだろうなと少し思った。
「所詮は机上の空論ってことなのかな。なにもかも上手くいかないもんだから、ちっと自信なくしちゃうよ。睡眠薬にしてもだよ、現に西村ちゃんはひっかからなかったわけだから。こうやって戻ってきたのも、ほんとに西村ちゃんのことが気になったからなんだ。寝てたら、はいそれまでよ。でも寝てなかったら。逃げられる前に話がしたいなってな」
「……話?」
 車のシートからはみ出している黄色いスポンジを眺めていた美依は、廃材を縫う男に視線を戻した。荘吾は倒れた冷蔵庫にひょいと飛び乗ると、手を広げて勧誘の意を示した。
「俺を手助けしてほしいんだ。してくれたら俺は、西村ちゃんを全力で守ります。俺と西村ちゃんとで協力してすべてを燃やし尽くそうよ、最後のふたりになるときまで」
「……最後のふたりになったら?」
「優勝決定戦。どっちが勝っても文句なし」
 荘吾はごく朗らかに提案した。
 こんな話をこんなにもあっさりと持ちかけるということは、よほど負けない自信があるのだろう。荘吾は間違いなく、美依を普通の女の子だと思い込んでいる。人殺しなどできるわけがないと高をくくっているのだ。
 それでも、優勝者になるという観点からすれば、ここで提携関係を成すのも手かもしれない。このゲームはひとりでいるより他人と手を組んだほうが断然有利だ。しかし美依の目指すところは、生き残ることではなく傍観することなのだった。目的を達成するためにはおいそれとくたばれないが、是が非でも生にしがみつきたい、とは思わない。いくら焼死体が見放題だとはいえ、行動の自由を阻まれるのにはもう懲りている。利害が一致しない以上、相手の要望には応じられない。
「……やだ、って言ったら?」
 美依は上目遣いで荘吾の様子を窺った。
「できれば使いたくないんだがな」荘吾は困ったように唸ったあと、背中のデイパックから小ぶりなガラス瓶を取り出した。「何かのときのためにって、これ、さっき作ったんだ。いちおう投げたあとでつくような仕組みにしてはあるけど、失敗したら俺が危ないんだよな」
 形状からすると、それは本来コーラかオレンジジュースでも入っていそうな瓶だった。しかし実際の中身は白く濁った液体と小石だ。口の部分にはキャップ代わりに新聞紙が詰めてあり、隙間からこよりがぴんと伸びている。
「なに、それ」
「うーん、なにかな」
 荘吾はしらばくれながら、愉快げにポケットを探った。そうして再び外へ現れた右手には、黄色い100円ライターが握られていた。
 ――火炎瓶。
 そうひらめいた美依は、咄嗟に周囲を見回した。すぐ左には軽トラックが、右隣には古タイヤの山が迫り、足元には古びた角材やダンボールが敷き詰められている。火など投げ込まれればあっという間に燃え広がってしまうだろう。足場は悪く、うまく逃げられる保障はない。美依は導かれるがままにこの場へ訪れた己の浅はかさを恥じた。
「ちょっと待って。協力しないなんて言ってないじゃん」
 美依が慌てて首を振ると、荘吾はその細面ににやりと笑みをにじませた。目や口が鋭利な弧を描き、まるきりキツネのような表情になった。
「じゃあはやいとこ、はじめての共同作業といきますか。まあ、4人の予定が2人になったわけだから、あんま効率はよろしくないけど。でもまあ、睡眠薬切れちゃったら厄介だしね」
 火炎瓶をデイパックに戻しながら、荘吾は言った。木下亜央と高橋絹代のことだった。あの健気な女の子たちを、これから燃やしにいこうと誘っているのだ。彼女たちの殺人計画が日の目を見る前に、闇に葬ってしまうつもりなのだ。美依がずっと楽しみにしていた“殺したいひとり”殺害の鑑賞会を、こいつは阻止しようとしているのだ。そう思うと、全身を巡る体液という体液が次第に熱を帯び、ぐつぐつ煮えたぎっていくようだった。
 ちっと失礼、と美依の脇をすり抜け、荘吾は来た道を戻り始めた。颯爽と遠ざかっていく背中を、美依は静かに注視していた。自分がいまどんな表情をしているのかがわかる。おそらく、睨むという単語では片付けられない、醜い形相なのだろう。
 陽気な口笛が耳を突いた。美依はそっと、双眼鏡を握り締めた。
 双眼鏡の使い道なんて、観察くらいしかないと思っていた。しかし先ほど、ほかならぬ荘吾自身がもうひとつの方法を示唆してくれた。ならばお望みどおり、これの餌食になってもらおうではないか。――そう、邪魔者は消すしかないのだ。
 ストラップを首からはずし、右手にぶら下げる。歩みを速め、湯浅荘吾に接近する。腕を大きく掲げ、力の限り振り下ろす――。
「んっ?」
 間の抜けた声と共に、荘吾の体が一斗缶の山へ傾れる。派手な音を立てて崩れ落ちた缶に埋もれながら、荘吾はこちらへ半身をひねった。後頭部を押さえ、顔面に呆けたような表情を貼り付ける。
「にし、むら、ちゃん?」
 美依は動きを止めなかった。武器を振り上げては相手の額へ叩き込み、頭頂部へ叩き込み、こめかみへ叩き込んだ。荘吾はすぐさま状況を察し、数メートル先にある出口を目指そうと足掻いたが、ごみの山がまるで蟻地獄の巣のように手や足をとり、どうしても谷間にいる美依から離れられないのだった。
 そのうち無骨なレンズ筒が赤い尾を引くようになり、相手の顔がみるみる血にまみれていった。飛沫が美依の髪や制服を汚したが、それでも執拗に殴り続けた。荘吾は傷ができるたびに短くうめきながらも、ふと薄目を開けた。
「ふ、ふふっ、ははははっ」
 なにを思ったか、いきなり堰を切ったように笑い出した。美依はひるんだが、双眼鏡はすでに降下し始めたあとだった。荘吾は頭めがけて突進してくる凶器など目に入らないかのように、こちらをまっすぐ見つめていた。そして、心底可笑しそうに呟いた。
「こりゃ一本とられた」
 直後、これまでとは違う手ごたえを感じた。ゴルフのファーストショットのような、薪を割ったような、生卵を落としたときのような音が辺りに響く。すべてが終わったのだと無条件で信じ込めるような、小気味よい感覚だった。苦しいくらいの静寂が、地面から這い上がってきた。
 肩で息をしながら、廃棄物の上に横たわっているクラスメイトを見下ろす。先ほどまでせわしなく喋くっていたその口は、片笑みを形作ったまま動かなかった。美依の本性を見逃すまいとでもいうつもりか、そのつりあがった細い目は最大限に見開かれていた。目尻からゆっくりと赤い液体が流れ込み、白目を染めていった。
 双眼鏡が手から滑り落ちたが、美依はそれを拾うことなく立ち尽くしていた。目の前にいる人間から血が溢れ出し、一斗缶に伝うさまを、ただただ見ていた。やがて血は足元の砂地にまで滲み、美依の上靴に触れた。その瞬間、美依は後ろへ飛びのいた。
「……なんで?」
 自分の行動の意味が理解できなかった。見たくて見たくて仕方がなかった死体がそこにあるのに、美依はそれから目を逸らそうとしていた。よろめきながらトタン塀に背を預け、俯く。正気を取り戻すため、2、3回両頬を叩いた。
 そこではじめて、手がずきずきしていることに気づいた。双眼鏡のストラップが食い込んでいたからだと思ったが、痛んでいるのは利き手ではなく左手だった。これまですっかりと存在を忘れていたが、調理実習のときに切ってしまった親指の付け根が、激しく脈打っているのだった。“×”の形に貼られた絆創膏を、美依は恐る恐る確かめた。
 途端に、傷のあたりから刺すような冷たさが広がっていき、あっという間に全身を凍らせた。心臓がこれまで感じたことのない不安定なリズムを刻んでいた。景色がぐにゃぐにゃと気持ちの悪い曲線を描き、胃のあたりを焼け付くような不快感が支配した。
 ――まさかあたし、人殺ししたことにショック受けてる?
 自身が考えたにも関わらず、その仮定は美依を混乱に陥れた。おかしい。こんなはずではない。薄情で無慈悲な西村美依は、いったいどこへいってしまったのだろう?
「……そうだ」
 そもそも自分は殺し合いの現場を傍観したいのであって、殺人鬼になりたかったわけではない。だから、想定外の出来事に脳がびっくりしただけなのだ。美依は無理やりそう結論付けた。直接手を下したのではない、もっと客観視できるただの死体を見れば、きっと自分の冷酷さが実感できるに違いない。幸いにも、美依が所在を知っている死体はふたつばかりあった。
 美依はおぼつかない足取りでごみ処理場を後にし、元クラスメイトが転がっているはずの商店街を目指した。

 しかし美依は、さらに混乱することになる。
「なんで?」
 商店街には、走って5分程度で辿り着くことができた。だが、そこにあるはずのものがどこにもなかった。道いっぱいに広がった血だけを残し、亡骸たちは忽然と姿を消していた。
「なんでよお……!」
 美依は情けない声を上げると、その場にぺたんと尻餅をついた。正午の全島放送が始まり、湯浅荘吾の名前が挙げられていたが、それを認識するほどの冷静さすら残されていなかった。

男子18番 湯浅荘吾 死亡
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