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39
 恐慌状態に陥りそうな頭を、美依はどうにかして宥めていた。
「西村ちゃん。ずっとここにいたの?」
 湯浅荘吾は問いながら、美依の体を自分のほうへ向き直らせ、両二の腕をつかんだ。口調はごく優しいものだったが、美依をなんとしてでも逃さないつもりらしい。
「私、湯浅が教えてくれなかったらぜんぜん気づかなかったよ。会えてよかったねえ」
 美依が荘吾の質問に答える前に、絹代が割り込んできた。絹代が同意を求めると、亜央もかすかに顔をほころばせた。ふたりとも、目の前にいるのは善良な女の子だと信じて疑わない様子だ。
 こういう場合、“普通の子”ならどうするだろう。美依は躍りだした目を伏せながら、脳をフル稼動させた。自分はか弱い女の子で、殺戮ゲームを半日あまりひとりで過ごしてきた。相手は自分に好意を持って接してくれている。湯浅荘吾は気ままで、腹の中では常に打算を働かせていそうなきらいがあるが、女の子ふたりには恐れる要素がないと言っていい。
 演じるのだ、普通の子を。思い描くのだ、相手に怪しまれず、かつ平穏に事態を切り抜ける方法を。混乱か――警戒か――安堵か――。
「西村ちゃん?」
 荘吾が少し呆気にとられたように眉尻を下げた。美依はそこで、自分の頬を暖かいものが流れているのに気づいた。不意のことに内心驚いたが、どうやら“普通”の感覚を刷り込まれた頭が自動的に答えを導き出したらしい。美依は戸惑いながらも、その反射的な体の働きに従ってみることにした。
「こ……」次第に顔をくしゃくしゃにしていき、膝の力を抜く。「怖かったー……」
「そうだよな、怖かったよな。これまでよく頑張ってきたよ」
 へたり込みそうになる美依を、荘吾が包み込むように支えた。美依は嗚咽を漏らしながら、うまく繋がらない言葉を必死で絞り出した。
「や……やる、気、やる気になんて……なって、ないよ、ね?」
「もちろんだ」
「私たちもだよ!」
 絹代が手を高らかに掲げながら、こちらへやってくるつもりか窓を乗り越えようと試みた。しかし桟に足を滑らせ、思いきり地面に尻餅をついた。
「……いったあ……」
 四つん這いになってお尻をさする絹代の姿を見て、亜央がくすくすと笑い始める。荘吾も「大丈夫か?」と尋ねつつ、おかしそうに肩を揺らす。突然の珍事に涙は引っ込み、美依もつられて笑顔になった。
 ――少々ベタだが、まずまずの滑り出しだ。

 美依は老人ホームの中へ快く招き入れられた。ふかふかのベッドや重厚なソファー、観葉植物――部屋の中は思いのほか豪華で、こういうところで暮らせるなら年老いるのもそう悪くないかもしれないと思った。
「さあさ、座って座って。お菓子もどうぞ」
 絹代がいそいそと窓際のソファーへ案内してくれた。先ほどの商店で調達してきたのか、テーブルにはビスケットや板チョコなどが山積みになっている。おずおずと3人がけの右端へ腰掛けると、すぐ隣に荘吾が、真向かいのひとりがけに絹代が陣取った。そこへ姿を消していた亜央が、カップの4つ乗ったお盆を手に部屋の外から現れた。テーブルに並べられたカップからは、湯気と甘い香りが立ち上っていた。
「……ココア?」
 美依が鼻声で訊くと、亜央ははにかみながらうなずいた。
「こりゃ驚いた。こんなときに優雅な10時のおやつタイムを過ごせるなんてな。どうやってお湯沸かしたんだ?」
 荘吾が感嘆の声を上げると、絹代が得意げに答えた。
「隣に給湯室ってのがあってね。そこにほらあれ、カセットボンベのコンロがあったから、それで。ココアとかコーヒーとかお茶とか、いろいろ揃ってたよ。ペットボトルの水もたくさん」
「でかした。水は大事だ。政府さんからもらったのだけじゃとても足りないからな」
「だよね。私なんかもう全部飲んじゃったもん」
「そりゃ早すぎだ」
 和やかな談笑をおとなしく眺めながら、美依はここからどう抜け出そうかと考えていた。
 浮かんだのは、仲間に加わってはみたものの、やはり疑心暗鬼になって逃走、というシナリオだ。“表の美依”はゲームが開始してからずっと恐怖と戦い続けてきたため、精神的に疲れきっている。いつパニックを起こしてもおかしくはないと3人に思わせ、なおかつ抜け目のない荘吾の目を盗むことができれば、無理のない形で再びひとりになれるかもしれない。
「西村ちゃんも飲みな。落ち着くよ」
 荘吾のそんな勧めに、美依は考え事から引き戻された。その言葉どおり、目の前にあるココアは手付かずのままだった。――ちょうどいい、ここらでちょっとした伏線を張っておくとするか。
 白地に青い花が描かれているそのカップをこわごわ手にとる。しかし口をつける決心がつかず、上目遣いで周りの人間を見回す。
「毒なんか入ってないよ」荘吾はすぐに美依の心情を察し、自分のココアを一気に飲み干してみせた。「ほれ、なんともない」
「おいしいよ」
 絹代の隣に座っていた亜央も、荘吾に倣って一口すすった。
「私、美依ちゃんの毒見してあげる」
 すでに1杯めを空にしていた絹代は、待っていたとばかりに美依からカップをもぎ取った。しばらくして返ってきたココアは3分の1にまで減っていた。
 ――あんまり親切にしてくれると逃げる口実なくなっちゃうじゃん。心の中で不平を漏らしつつ、美依はようやくココアを飲んだ。穏やかな甘さと温度が体中に広がって、不覚にも少しだけ幸せな気分になった。
「西村美依さんの武器は、それ?」
 美依の小芝居がひと段落ついたところで、そう不思議そうに指差したのは亜央だった。彼女のやわらかそうな人差し指の先には、美依の首から提げられた大振りの双眼鏡があった。
 しまった、と思わず舌打ちをしてしまいそうになる。ほんの軽い気持ちで手に入れた代物が、こんな形で前途を阻むことになろうとは思ってもみなかった。
 本物の支給武器はスカートのポケットで眠っているツールナイフだ。本物を所持している以上、それがいつ見つかるとも限らないため、できるかぎり嘘はつきたくない。しかしこれは拾ったものだと素直に言えばその理由を訊かれてしまうだろう。双眼鏡の使い道など、野鳥観察か天体観測、それに覗き見くらいなものだ。普通の女の子はこの状況下で何かを観察をしようなどと発想しない。どちらに転んでも不利な要素が残ってしまう。
「うん」
 素早く考えを巡らせたのち、やはりうまく言い逃れることは難しいと判断し、美依は真実を偽ることにした。亜央がふうんと頷き、絹代が完全にはずれだねえと同情する。話題がそのまま流れていきそうな雰囲気に美依はほっとし、真横の荘吾を見やった。その途端、仄かな安心感が音を立てて揺らぎ始めたのだった。
「ほーお」荘吾の細い目がちらと見開かれ、すぐに元の大きさに戻った。「政府さんもいろんな武器を考えてくれるよな、まったく」
 ほんのかすかな変化ではあったが、美依は荘吾の表情に言い知れぬ不安を感じていた。なにかを勘付いたような顔に、それは見えたのだ。
「じゃーん、これが俺の武器」
 手品師のように華麗な手つきで、荘吾はブレザーのポケットから携帯ゲーム機のような機械を取り出した。電源らしいボタンを押すと、長方形の液晶画面にいくつかのマークが映し出された。
「これなあに?」
 亜央がチョコチップクッキーをかじりながら尋ねると、荘吾は尖った犬歯を見せながら笑んだ。
「武器探知機」
 思わず息を呑んだのを、荘吾は気づいただろうか。美依はどうにか冷や汗を引っ込めようと奥歯を噛み締めながら、荘吾の武器を凝視した。
「みんなの武器には発信機が仕込んであるらしい。その位置をこの探知機ちゃんが教えてくれるってわけだ。で、3つの反応が見えたからここに来たわけ」
 白い画面の中央にほぼくっついた状態で映し出されているのは、黄色い三角印がひとつ、赤い丸印が3つだった。数からして丸印が武器を示しているのだろう。武器の名前や、それが誰の所持品なのかといった情報はどこにも表示されていない。今のところ、美依の嘘がばれたという証拠は見当たらない。
「だから美依ちゃんも見つけられたのかあ」
 絹代が納得したふうに息を吐いた。
「ああ、これ持ってなかったら西村ちゃんと会えなかっただろうな。うまいところに隠れてたよ」
 感心したふうに顔を覗き込んでくる荘吾の腹が、美依にはまったく読めなかった。先ほど覚えた違和感を除けば、荘吾の美依に対する態度は微塵も変わりない。やはりただの取り越し苦労なのだろうか。
「ほかの人とも、会ったの?」
「会ったっちゅーか、見た、だな」亜央の言葉に、荘吾は首をすくめた。「そうだ、俺の恐怖体験、聞いてくれよ。今から約1時間前の話だ。俺は林の中を彷徨ってたんだけどな、そこへ探知機ちゃんがいっぱいの丸を映し出してくれたんだ。すげえ、めっちゃ人集まってる、と思って、うきうきしながら現場へ急行してみた。したら……そこにいたのは小田くんひとりだけだったんだよ……どういう意味か、わかるよな?」
「武器の亡霊?」
 絹代が腕を組みながら唸り、亜央もただただ小首を傾げるだけだった。
「小田は誰かを殺して武器を奪ったのかもしれない……」
 美依が頼りない女の子たちの代わりに答えてやると、荘吾は深刻そうに声のトーンを落とした。
「ああ、そのとおりだ。そりゃもちろん、たまたま拾ったって可能性もなくはないが、なんせ持ってたのが5個だからな。全部が全部拾ったとは思えない。だから、一目散に退却したよ。危なすぎて」
 小田春生(男子3番)といえば、美依が出発当初に体育館で見かけた人物のひとりだった。あのとき尾行の対象を小田春生に決めていれば、殺害現場を目の当たりにできたのに違いない。美依は悔しさのあまり身悶えそうになった。
「それから、小田くんとおんなしくらい武器持ってたのが、中原のさっちゃん」
「え? うそだあ」
 絹代が素っ頓狂な声を出す。不良の小田春生ならいざ知らず、おしとやかなお嬢様である中原皐月(女子8番)と殺し合いという組み合わせが結びつかないのだろう。
「はじめは俺も我がお目々ちゃんを疑ったよ。けど、間違いない。実際、斧と鞭と、あとフォークのでっかいバージョンみたいなすげえ武器持ってるのが見えたのな。こりゃもう、完璧クロでしょう」
 美依は、双眼鏡をはじめて活用したときのことを思い出していた。長い髪をなびかせながら自転車で走っていく中原皐月を、双眼鏡は捉えたのだった。あのとき皐月捜索にもう少し本腰を入れていれば――。
 小田春生に中原皐月、2人もの大物をすんでのところで取り逃がしていたと知り、美依は底なし沼にどっぷりと沈んだような気分になった。
「まあ、そんなこんなでそう上手くはいかないわけだけど、俺はできれば、この探知機ちゃんを使ってクラス全員を集めたいと思ってる。そう長谷のナッちゃんと約束したんだ」
「ナツキと?」
 意気消沈していた美依だったが、友人である長谷ナツキ(女子11番)の名前には形式的に反応しておいた。
「ああ、西村ちゃんはナッちゃんと仲良かったっけな。そうなんだ、ナッちゃんと夜中のうちに会ってな。ふたりで力を合わせて仲間を捜そうって話になったんだ」
「ちょっと待ってよ。じゃあなんでいまナッちゃんと一緒じゃないの?」
 絹代の口から出たにしては、それは至極真っ当な疑問だった。
「そこ突かれるとちっと痛いんだけどな」荘吾はばつが悪そうに鼻を触った。「簡単に言えば、はぐれちゃったんだ。ほら、俺とナッちゃん、会ったのが夜中だろ。俺は夜行性だから平気だったんだが、ナッちゃんはおねむの時間でな。てことで、夜のうちはナッちゃんには眠気解消に専念してもらって、その間に俺はひとりで人捜し、ってわけだ。で、朝になってナッちゃんのところに戻ってみたんだが、ナッちゃん、残念ながらどっかいっちゃっててな。“お昼には戻ってくるから待っててね”って書き置きは残ってたんだけど」
「長谷ナツキさん、無事かしら……?」
 亜央がぽつりとつぶやく。それは美依も気になるところだった。ただでさえ危険で溢れている島の中、あの単細胞をひとりにすればどんな無茶をしでかすかかわったものではない。ナツキの身に何があろうと構わないが、どうせなら自分の目の届く範囲で死体と化してくれればと思った。
「無事であることを願うばかりだよ。だから俺は、昼までにできるかぎり人集めして、どうしてもナッちゃんとの待ち合わせ場所に戻りたい。そこでだ、お3人さん。ナッちゃんと俺の仲間になってくれないか?」
 荘吾はごく真面目な表情で、絹代、亜央、それから美依の順に視線を向けた。
 この男に見つかったことが運の尽きだったのだろうか。先ほどから、不利益な事柄ばかりが身に降りかかってくる。もしここでナツキと合流でもしようものなら、逃げ出す口実は限りなくゼロに近づくだろう。しかし、親しい友人との再会を蹴る、そんな“普通の子”がどこにいよう。
 美依は返答に窮したが、不自然な間が生まれる前に絹代が手を挙げてくれた。
「なるよ、なるなる! ナッちゃんといたら元気出そうだし。他の人たちとも会えるんだよね?」
「ああ、うまくいけばな」
 絹代と亜央が頬を桃色に染め、顔を見合わせた。
「やったよ亜央ちゃん。ついに、とうとう、あの人と」
「うん」
「なんだなんだ。会いたいやつでもいるの?」
 わくわくと胸を躍らせる女の子たちを見て、荘吾は興味深げに身を乗り出した。
「うん、そうなんだ」
 美依はそれまでと同様、聞いているように装いつつ考え事に没頭していた。が、ふと彼女たちを尾行してきた経緯が脳裏に甦り、それが聞き流せる話題でないことに気づいた。――そうだ、彼女たちは“殺したいひとり”を捜していたのではなかったか。
「それって誰?」
 興奮を気取られないため、美依はいかにも“場を繋ぐために訊きました”というような態度をとった。ふたりの女の子は目配せをし、揃ってその名を口にした。
「北須賀!」
 場違いなほどきらめく彼女たちの瞳に、そしてあまりにふさわしいその人選に、思わず吹き出しそうになった。
 クラスでひとり殺すとしたら誰かというアンケートをとったとすれば、北須賀祐(男子5番)が上位に食い込むことは確実だろう。それほどに彼はろくでもない男だった。祐の傍若無人な振る舞いに泣かされた者は数知れず、絹代や亜央との間になにか因縁があってもおかしくなかった。
「北ちゃん? なんでまた」
 彼女たちがクラスメイトを殺したがっていると知らない荘吾は、意外そうに眉を持ち上げた。女の子たちは再び互いを見交わせ、「なんでって、ねえ」と口をもごもごさせるばかりだ。
「さては、恋だな?」
 荘吾がにやにやと冷やかし、絹代がむきになって否定する。美依はその光景を微笑ましく見守りながら、気分がいくらか持ち直していることを実感していた。捕まったことは本当にまずかったが、絹代や亜央の動機がはっきりと判明するまで、この一団に身を置くのも悪くないかもしれないと思い始めていた。
 いかにしてひとりになるかという問題はいったん保留することにし、美依は残りのココアを喉に流し込んだ。すっかりと冷めてしまってはいるが、そのまろやかな香りが、美依の体にたまった重苦しさをゆっくりと蕩かしていくようだった。

【残り20人】