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37
「クラスの子と殺し合うたんや。考えられるか?」
 彼女の声が耳の奥に蘇る。平野要(男子13番)はここへきて、彼女の言わんとしていたことを実感し始めていた。
 電話の音を聞きつけ、訪れたこの場所で展開していたのは、吹坂遼子(女子13番)がゴルフクラブで広瀬仁(男子14番)に殴りかかる光景だった。遼子と仁は幼なじみ同士であり、言葉を交わさずとも心が通じ合うような睦まじい関係だったはずだ。そのふたりが敵対する。プログラムの恐ろしさとはそういうところにあるのだろう。
「こいつが言ったこと、聞こえた?」
 吹坂遼子が横たわっている広瀬仁を指差す。眼鏡の奥にある目はひどく暗く、体中から冷気が放出されているようだった。向こうの武器らしいゴルフクラブは曲がって使い物にならないだろうし、柔道部の副主将が勉強の虫に力で勝てないはずはないのだが、要は今の遼子に圧倒的な近寄りがたさを感じていた。
「いや」
 要は手の中にある釘バットを控えめに握り直した。
「ごめん。やっぱり無理だった。そうあんたに伝えてと、古屋さんが言っていたそうです」
 遼子はしゃがんだまま、事務的に続けた。
 彼女が殺されたのか、それとも自ら命を絶ったのか。要の予想は半々だったが、伝言の内容から察すると後者なのだろう。途端に悔しさがこみ上げてきた。生きようという意志を持てなかった彼女の弱さに、そして、彼女を守れなかった自分に対して、ふつふつと怒りが湧いてきた。
 要は奥歯を噛み締め、家庭科室での出来事を回想した。

 1日前の昼下がり。家庭科室はいつの間にやら、水を打ったように静まり返っていた。
「なあ、みんな、なに寝とん……起きようや、なあ……」
 窓の外を眺めていた要が振り返ったときには、すでにクラスの大半が気を失っていた。ある者は調理台に突っ伏し、ある者は床に倒れ、担任に至っては、中を覗こうとしていたのか冷蔵庫に頭を突っ込んだままぐったりしている。要は最初、どこかの間抜けがガス栓を閉め忘れたために、部屋中にガスが充満したのだと思った。
 とっさに手近な窓を開けたが、そこではじめて、外と中の臭いがさほど変わらないことに気づく。念のためと自前のマスクを身につけようとしたとき、背後から声が飛んできた。
「あんたなんで起きてるん」
「……起きとっちゃあ悪いんかい」
 状況がうまく飲み込めないため、機嫌の悪さが口調に表れてしまった。声の主――古屋祥子(女子15番)はたじろぎ、困ったような笑顔を浮かべた。
「肉じゃが、食べへんかったん?」
「……あ? ああ、ジャガイモアレルギーの気があるけえの」
 祥子がなぜそれを言い当てたのかわからなかったが、要はとりあえず質問に応じた。
 アレルギー、それは要がこの世で最も恐れているものだった。ジャガイモを食べれば全身が痒くなり、ほこりを吸い込めばくしゃみや咳が止まらなくなり、ゴム製品に触れれば蕁麻疹が出る。アレルゲンの前では鬼の副将も形無しだ。
「ガスっていう話やけどな……でもみんな寝とるしな……間違いないよな……」
 祥子はなにやらぶつぶつと呟きながら、珍しく笑みを潜めると、深い深いため息をついた。
「今回は睡眠薬なんや……」
「あん?」
 突拍子もない単語が飛び出したことで、要はいよいよ不愉快になった。そんな険相に気づいているのかいないのか、祥子はクラスメイトたちの間を縫うようによろめいた。
「おい」
 茫然自失とした祥子の様子に少し毒気を抜かれ、要は祥子に歩み寄った。祥子はみるみる顔色を悪くして、窓際の流しへ歩いていく。その頼りない肩に手をかけるが、すぐさま払いのけられた。
「止めんといて。三途の川行くんやから」
「ああ?」
「これ以上みんなとおったら、うちはあかんねや」
 言いながら、スタンドに挿してある包丁を取ろうとする。要は慌ててその腕を掴んだ。
「なに考えとる!」
「離して! 頼むわ!」
 祥子は要を引き剥がそうともがくが、腕力の差が開放を許さない。要はさらに反対の手で祥子の肩を握り、相手の体を揺さぶった。
「しっかりせえや」
 要が宥めようとしても、祥子は「いやや、いやや」と体を暴れさせるだけだ。
「古屋!」
 ぱん、という乾いた音が、教室中に響き渡る。
 祥子はきょとんとして、ゆっくりと要に視線をあわせた。要の平手が祥子の柔らかな頬を叩いたのだと、認識しきれていないような顔つきだ。しかしようやく感情の波が引いたのか、祥子の目には落ち着きの色が戻りつつあった。
「悪い」
「……いいや。こっちこそごめんな」
 要と祥子は互いに頭を下げあった。
 他人に笑顔しか見せない古屋祥子が取り乱している。事態がなにかの悪ふざけや、軽んじられる問題でないことだけは確かなようだ。理不尽な状況と今にも泣き出しそうな女の子との板ばさみになり、要はすっかり参ってしまった。
「どういうことなんか、わしに話してみい」
 とりあえず祥子を近場の椅子に座らせ、子供をあやすような気持ちでそう求める。祥子はなにかを決心するように長く長く息を吐き、「わかったわ」と答えた。
「うちな、お兄ちゃんがおってんやんか」
 軽く頷き、先を促す。
「けど、死んでもうた。……3年前、プログラムで」
 祥子の発言に、要は絶句した。こめかみが急激に引きつるのを感じながら、おそらくはそのあとに続くであろう、最悪の宣告を先回りする。
「まさか、わしらもそれに、って言うんじゃなかろうの?」
 祥子は静かに目を伏せた。
 めまいを覚えた。だがすぐに、やはりという諦観の念が胸に広がっていく。約40人もの人間が一斉に昏倒する理由としては、祥子が言うように薬物が混入されていたと考えるのが最も手っ取り早いだろう。いたずらという可能性もあるが、それにしては悪質で大掛かりすぎる。犯人が個人規模ではなく、もっと大きな機関であるとすれば、しっくりくる点もより多くなる。
「お兄ちゃんな」祥子はまぶたを閉じた。「いっぱい刺されて、首絞められて、死んだんや。クラスの子と殺し合うたんや。考えられるか? お兄ちゃん、ええクラスに恵まれたわって喜んどったんやで。それやのに、そういうことになってしまうねや。優しい人やったのに、そうなってしまうねや」
 動揺していたことも手伝い、要は黙ったまま、祥子の吐露を聞き入れていた。
「うちは、お兄ちゃんみたいになりたくないんや」
 肩までの髪に顔を隠すように、祥子はうつむいた。要は気持ちが落ち着くのを待ってから、静かに尋ねた。
「兄貴は、誰か殺したんか?」
「……知らん。でも、たぶん、殺すつもりはあったと思う。プログラム終わって家に帰ってきたお兄ちゃん、みっにくい顔やったで。憎悪の塊や」
「その醜い顔になる前に、自分で死のうゆうんじゃの?」
「……そうや」
 要は強くまぶたを閉じ、心の中で祥子の独白を反芻した。身近な人間の死を一度も体験していない要にとって、兄に先立たれた祥子の気持ちを理解するのは難しい。だが、自ら命を投げ出さんとしている者を、黙って見過ごすわけにもいかなかった。
「あほじゃないんか」
 要が言い放つと、祥子は虚を衝かれたように瞳を丸くした。要は目線の高さを祥子に合わせた。
「なんで、生きることに後ろ向きなんじゃ。なんで、誰も死なん方法を模索せんのんじゃ。醜い顔にならんようにがんばろうや」
 祥子の固い決心が少しでも鈍ればと、丁寧に訴えかける。ただ要は、これがプログラムの前触れだという予測を頭の隅では疑っていた。祥子ほど深刻には受け止められず、あとになって思えば、いささか楽天的な態度だったことは否めない。
「古屋。もういっぺん同じことしたら、わしはお前を許さんで」
 要は相手に人差し指を突きつけた。祥子はしばらく下を向いていたが、やがてひとつ鼻をすすると、ぱっと要を見上げた。
「うん、そうやな。考え直してみるわ」
 要の話に励まされたからか、それとも気遣いからなのか、かすかながら笑顔が見える。その表情はあまりに痛々しかった。要は彼女の肩を軽く叩いたあと、これ以上気負わせては不憫だからと、無理やり話題を変えた。
「ほいじゃが、こんならよう寝とるのう。おい鳴、起きいや」
 そばに転がっていた竹岡鳴(男子10番)を足でつつく。しかし睡眠薬がよく効いているらしく、鳴はなおも小さないびきをかき続けた。そんな友人の反応を見て、ふと疑問が持ち上がった。
「古屋も肉じゃが食わんかったんか?」
「いいや、おいしくいただいたで」祥子は先ほど要がアレルギーの話をしたときと同じ、さり気ない調子で答えた。「うち、不眠の気があるねやんか。うちには軽かってんな、今日の薬」
 兄のことがあって以来、彼女はどれだけの心的負担を強いられていたのだろう。祥子は自身のことを多く語らなかったが、それを考えるとやるせない気分になる。そのやりとりの直後、専守防衛軍らしい兵士が突入してきて警棒で気絶させられ、祥子とはそれきり言葉を交わせなかった。

 ――全校生徒が集まった朝礼の時間みたいに、雑木林がざわざわと騒いだ。
 吹坂遼子が広瀬仁の手からボウガンを奪い取り、こちらに向けて構えた。要は反射的に戦闘態勢に移ったが、遼子に心変わりの様子はない。可能かどうかはわからないが、矢が飛んできたらこの釘バットで受け止めようと思い立った。両者その姿勢のまま、その場はしばし膠着した。
 不気味なほど表情のない遼子を前に、要は思った。学校での様子を見る限り、吹坂遼子と広瀬仁は本当に互いを信頼しあっているようだった。現に仁が出てくるのを、遼子は校門前で待っていたのだ。結局は邪魔が入って合流に至らなかったが、一緒になるつもりだったに違いない。それなのになぜ、遼子は仁を殺したのだろう。
 要も遼子同様、スタート地点に留まっていたうちのひとりだった。どうにも古屋祥子のことが気がかりだったからだが、結局合流するには至らなかった。校舎から出てきた祥子を要より先に呼ぶ声があり、彼女は要に気づかないままそちらへ行ってしまったのだ。後ろ姿しか確認できなかったが、あの丸いショートボブ、それにアニメでしか聞かないような不自然な声色は渡辺千世(女子19番)のものだったと思う。女友達がそばにいれば変な気も起こせないだろうと安心し、要はあえてそのまま祥子たちを見送ったのだった。それなのになぜ、彼女は死んだのだろう。
 なぜ殺したのか。なぜ死んだのか。なぜ生きない。なぜ生かさない――。
 祥子の心境を量る手がかりになる気がして、遼子の双眸に潜む闇を見つめる。すると、相手の神経質そうな顔に冷ややかな笑みが表れた。同じ笑顔でも、それは祥子の見せるものとは趣のまるで違う表情だった。
「理由なんて、どうでもいい」
 まるで心を見透かしたように、遼子が要の“なぜ”に答えた。薄ら寒い空気を孕んだその一言は、要の身の毛を容赦なく弥立たせた。それ以上の接触を断固として拒否する、ぶ厚い氷の壁が遼子を取り囲んでいた。
「こうしようか」
 続けて遼子からそう切り出してくる。
「私はここを去る。見逃してくれたら、私はあんたを撃たない。仁と鳥居の荷物も置いていく。悪くない話でしょ」
 遼子は右のほう、少し離れたところで倒れている鳥居雅治(男子11番)を一瞥した。要が眉根を寄せる間もなく、遼子はボウガンをこちらへ構えたまま、後方へさがりはじめた。追いかけられる気配がないことを確認すると、歩調を速め、そのうちブロック塀の角を曲がった。要はただ立ち尽くすよりほかなかった。
 彼女がこれからどこへ行ってなにをするのか、一抹の不安が脳裏をよぎらないわけではない。いや、どう考えても、吹坂遼子を野放しにしていいはずがなかった。だが、今の要に遼子を止めることは無理だった。ほとんど絶望的ともいえるほど、覚悟の度合いに歴然たる差があるのだ。
 遼子の足音が完全に聞こえなくなったころ、要はようやく動くことを許された。すぐさま雅治に駆け寄る。大量の血を流している広瀬仁はともかく、鳥居雅治の生死は判然としない。そもそも要は、雅治がなぜそこで倒れているのかも知らなかった。
 林の位置からは見えなかったが、間近で雅治の顔を見て息を呑んだ。その眠たげな瞳は光を失い、だらしなく開いた口に羽のついた赤い棒が突き刺さっている。その赤は、先ほどのボウガンに取り付けられていた矢と同じ色だった。ボウガンはもともと仁の武器だったようだから、彼が雅治を殺したということだろうか。あの救いようがないくらい人のいいお坊ちゃまが?
 なぜ、が頭の中を飛び交いすぎて、要は疑問を抱くことにすっかり疲れていた。
 半ば呆然としながら、やはり背に腹は変えられず、遼子の提案どおり雅治のデイパックを探った。ペットボトルやパンなど、要も持っている基本的な支給品に紛れて、応接室にでも飾ってありそうな騎士を模したブロンズ像が出てきた。武器というより凶器だな、と思った。
 死肉を漁る禿鷹のような行為しかできない自分に、怒りを通り越して呆れてしまった。こんなことでは誰の死も止めることなどできないだろう。要は無力感に襲われ、ただただ拳を強く握り締めた。

【残り20人】