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28
 数分ほど前のこと。
 なにやら肉の焼けるような匂いがして、青木洸輔(男子1番)は目を開けた。というよりも、まぶたがひからびて勝手に捲れ上がった、と言ったほうが適切かもしれない。とにかくそれで、洸輔は自分の置かれている状況を認識した。
 藁半紙やダンボール、カーテンなど、目に見える全てのものが燃えていた。ビールケースからは黒い煙が立ち昇っていた。熱風の仕業か、ガラス窓が割れていた。薄いトタン屋根は骨組みから半ばはがれ、炎に煽られていた。
 ――火事だ。
 ライターが閃光を放ち、蝶みたいな形をした火がひらひらと目の前を駆け巡ったところまでは覚えている。おそらくは、足が動かなくてもたもたしているうちに酸欠でも起こしたのだろう、そのあと気絶し、気付いた頃にはまわりに誰もいなかった。逃げ遅れたのだ。
 洸輔は呆然と視線を移し、そしてぎょっとした。
 足が燃えていた。スニーカーの底がどろどろに溶け(ああ、結構いい値段したのに)、スラックスの裾が灰になっている。右足首の皮は広々と膨れ上がり、中からなにやら茶色い液体がにじみ出ていた。
 ――きしょっ。
 痛みよりも、熱さよりも、なにより気持ち悪さが勝っていた。今見ているものが自分の足だとは思えず、どこか他人事のようだった。
 ――あ。これってちょうどあのときと一緒じゃないか。
「死ね」
 そう言われた日と、よく似た感覚。
 じわじわと、あるいは急速に迫ってくる、生命を脅かすもの。それはあまりに非現実的で、中学3年生の自分にも、小学6年生の自分にも、にわかには受容しがたい出来事だった。
 だが、今はあのときと違い、まったく手も足も出ないわけではない。洸輔は仰向けからうつ伏せに体勢を変え、腹這いはじめた。出入り口まで3メートル。おあつらえ向きに、その道のりには障害物が少なく、まるでモーゼの十戒みたいに炎の谷ができていた。横田翼(男子19番)が出火の直前まで玄関先で寝ていたはずだから、その際に邪魔物をどかしたのだろう。
 ふと手ぶらであることに気付き、辺りを見回した。出入り口とは反対側の壁にいくつものデイパック、その隣には洸輔への支給品である山刀と、刺の生えた鉄球と棍棒が合体した物騒な武器――モーニングスターが追いやられている。――あ、コマ、大事なもん忘れてんじゃん。持ってってやらないと。
「青木!」
 名前を呼ばれ、洸輔は回れ右しかけた体を止めた。
 出入り口のほうに顔を動かすと、炎の隙間に駒澤岸郎(男子7番)の姿が見えた。池の水でもかぶったのだろうか、岸郎は全身ずぶ濡れの恰好で、口にハンカチを当てながらこちらに駆け寄ってくる。
「生きているんだな」
 洸輔が頷くと、岸郎はほっとしたように切れ長の目を細めた。
 これがあの、いつもオカルト話に興じていた顔色の悪い男だろうか? 真っ赤な灯りを背にした岸郎は、とても頼もしい存在に感じられた。助かるのだという安心感が、炎とはまったく違う柔らかな温度で洸輔の胸を満たしていった。
「さあ、ここから出るぞ。立てるか?」
 岸郎の問いに、力なく首を振る。火傷のせいで足は強張っていたし、もとより怪我をしていなくても、一度寝そべってしまうと立ち上がるのに結構な時間を費やさなければならなかった。
「そうか。じゃあ僕の背中に」
 岸郎は静かに言うと、洸輔の肩に手をかけた。そのとき、不意にひとつの疑問が首をもたげた。
 ――俺は、助けられていいのかな?
「コマ……」
 煙をたっぷりと吸い込んだためか、喋ろうとした途端、喉の奥から咳が飛び出した。岸郎がすかさず背中をさすってくれる。
「手で口を押さえておくんだ」
「俺のせいだ」
 洸輔は指示に従わないまま、身を起こそうとしてくれている手を振り払った。岸郎の驚いた顔が目に入る。
「何を言っているんだ。悪いのは湯浅だ。すべて奴がやったことなんだ」
「……いや」
 罪悪感が急激に押し寄せた。自らの犯した過ちが次から次へと思い起こされ、一瞬のうちに、洸輔の頭は破裂しそうなほどぎゅうぎゅう詰めになっていた。
 この火事の原因になった、自分の喫煙癖。
 湯浅荘吾(男子18番)を身体検査したとき、彼のリストバンドから灯油のようなにおいがしたのにも関わらず、それを仲間たちに黙っていたという怠慢(もっとも、その時点では荘吾に悪意があるなんて考えもしなかったが)。
 策もないくせに仲間たちを集めた、先見性のなさ。
 そして――この足のこと。
「俺に、助けてもらう価値なんか、ない」

 あれは、小学校6年生のころの話だ。
 洸輔には好きな女の子がいた。笑うと覗くちょっぴり大きめの前歯が魅力的で、誰からも愛されていた女の子。根尾倫香(女子10番)に顔のつくりが似ていたが、明るく、優しく、愛嬌たっぷりな子だった。――そういや根尾さんのことが気になってた時期もあったっけな。ずいぶん昔だけど。
 当時、洸輔は運動神経が抜群によく、リーダーシップに長けたクラスの人気者だった。ただ同時に、精神的な幼さが目立っていたようにも思う(年齢を考慮するとやむを得ないことなのかもしれないが)。そんな洸輔にできた愛情表現といえば、彼女に意地悪をすることくらいだった。
 ブス、などと呼んでみたり、消しゴムやシャーペンを隠したり、話し掛けられても無視したり――今なら、子供の他愛ない照れ隠しだと笑えるだろう。しかし彼女にはそれが通じなかった。みんなに好かれていたために、ほんの少しのいじめも経験したことがなかったのだ。心地のよい温室で大事に大事に育てられたあの子は、少し力を込めただけであっさりと折れてしまった。
 朗らかだった彼女は日に日に元気がなくなっていき、ついには学校に来なくなった。だが洸輔はそれが自分のせいだとわからず、先生の言うとおり風邪だと信じて疑わなかった。
 あの子が休み始めて3日目。洸輔は彼女に手紙を書き、こっそりと郵便受けに落とした。『お前がいないとさみしい。はやく元気になれ』、と。
 メッセージが功を奏したのか、彼女はあくる日に学校へ出てきた。久々に見た顔はより一段とかわいらしく見えたが、やはり素直に気持ちを表現するのが照れくさく、ついいつもの調子で言ってしまった。
「よかった、暇つぶしになるやつが戻ってきて」
 手紙に記された甘い言葉と、口からこぼれた心無い言葉。一度希望を与えられた彼女が感じたその落差は、一体どれほどのものだったのだろう。当の洸輔は彼女に会えたことに舞い上がり、相手の目に涙が溜まったことにも、その小さな手が固く握られたことにも、まったく気付かなかった。
 そうしてその日の放課後、洸輔は歩道橋から突き落とされたのだった。
「死ね」
 彼女の恨み言を背中に受けながら。
 アスファルトに叩きつけられた上、気付かず突っ込んできた軽トラックに轢かれ、洸輔の両膝は目も当てられないような状態になった。命に別状はなかったものの、プロのバスケットボール選手になるという夢が絶たれ、一番の楽しみである体育の授業でさえドクターストップがかかった。
 入院を余儀なくされた洸輔は、硬いベッドの上で悶々としていた。どうしても、がっちりとギブスで固められている2本の足が自分のものだとは思えなかった。この気持ちの悪いものはいつまで自分の目の前に置いてあるのだろう、いつになったら自分の足は戻ってくるのだろう、そんなことばかり考えていた。
 その間、あの子のことは頭から取り払われていた。当然ながら、あの子が凶行に駆り立てられた原因を推し量ることもなかった。
 ある日、何人かのクラスメイトが見舞いに訪れ、学校生活のことについて報告してくれた。例の事件には目撃者がいたらしく、彼女が集中砲火を浴びているのだという。
「最低だよあいつ」
「たぶん、嫉妬してたんだよ。青木が自分より人気あるからって」
「あいつがあやまるまで許さないってクラス全員で決めたんだ」
 洸輔が彼女のことを思い出したのは、事故にあって以来それがはじめてだった。
 ――俺には慰めてくれる味方がたくさんいる。
 ――あの子には、いない。
 多少なり、優越感に浸っていたのかもしれない。洸輔はしばらく間あの子の前歯を見ていないことに思い至り、急に彼女のことが不憫になった。そこで、クラスメイトたちに嘘をつくことにしたのだった。
「バカ。あれ、自分で落っこちたんだよ」
 これで、彼女を救えると思った。
 しかしそれは、ただの自己満足にすぎなかった。
 大きな被害を受けた側が加害者をかばうことにより、洸輔の株が急上昇する結果となった。一方、彼女は自宅に引きこもってだんまりを決め込んでいたので、心証は悪くなるばかりだった。
 洸輔が松葉杖をつきながら登校を再開したころには、彼女はもう、どこかへ引っ越したあとだった。

 洸輔は両膝に視線を投げた。日常生活を送るのに目立った支障はみられないほど回復してはいたが、傷ついた神経がそうさせるのか、それとも精神的なものなのか、未だに夜な夜な疼くそれに。
 これで最後かもしれないと、出発直後に体育館へ立ち寄り、バスケットゴールにジャンプシュートを敢行したのがまずかったのかもしれない。あるいは、島の端から端へ休まず歩いた影響かもしれない。膝は明け方ごろから調子を崩し、曲げ伸ばしすることも困難になった。だが、すべては自分で蒔いた種なのだ。
「……俺、自分ばっかりだから。もう、いいよ」
「なにがいいっていうんだ!」
 その口調は怒りを含んでいた。見ると、岸郎は息苦しさや熱さに顔を歪め、この場に留まっていられるだけの精神力を使い果たそうとしていた。
「行け」洸輔は毅然とした態度を取った。「助けはいらない。ひとりで出るから」
 ここでまた他人の手を借りていては、あの頃の二の舞を演じるだけだ。
 これは好機なのだ。
 くそおもしろくもない利己心を打ち破るための、最大の好機なのだ。
「意地を張る場面じゃないんだぞ」
「あ、武器持ってくの忘れんなよ」
「武器なんかどうでもいい。さあ」
「頼むから行けよ!」
 洸輔はがなった。激しい咳にまぎれて何を言っているか自分でもよくわからなかったが、岸郎には通じたようだった。
「足が動かないんだろう!」
 岸郎が友人の上半身を無理に抱き上げると、洸輔はもがきながら、からからに渇いた喉から声をひねり出した。
「頼むから、早く!」
「青木! 君がなにを思っているのか知らないが、僕のことも考えたらどうだ!」
 岸郎の叫びに、洸輔は抵抗するのをやめた。
 言葉の響きが脳にゆっくりと染み込んでいく。だが、意味は今ひとつ理解できなかった。――コマのことを? 考える? 考える――。
 虚を衝かれたような思いだった。
 ――それじゃあなにか?
 俺はまた、自分のことしか考えてなかったってわけか?
「コマ……」
 言葉の真意を確かめようと、友人の顔を見た。そして不可解な異変に気付いた。
 岸郎の口の端から黒っぽい液体がとろりと漏れ、細いあごに一筋の線を描いていた。肩を掴んでいた手が力を失い、体が傾ぐ。岸郎はそのまま、洸輔に覆い被さるようにして倒れ込んだ。
 なすすべもなく押し倒されながら、洸輔は見た、岸郎の華奢な背中に短剣が突き立っているのを。柄を飾る豪華な浮彫がぎらりと光った。
「……え?」
 何が起こったのかまったくわからなかった。
 その装飾短剣は根尾倫香への支給品であり、畠山智宏(男子12番)の手に渡らせないため小田春生(男子3番)が放り投げ、穴の開いた天井から小屋内へ闖入したものだったが、外でのそんなやりとりを洸輔が知る由もなかった(ついでにいうと、根尾倫香が混乱する原因ともなった不幸の手紙のことは、とうの昔に忘れ去っていた)。
「え? え? え?」
 洸輔はようやく焦りはじめた。
 鼻先にいる岸郎はすでに呼吸を止めており、白目を剥き、きれいに並んだ歯を血で染めていた。その姿はさながらホラー映画に出てくる怨霊のようだった。どう足掻いても、上からしがみついている怨霊を引き剥がすことはできなかった。
「ん、しょっ」
 洸輔は岸郎を乗せたまま、腕の力だけで出口を目指した。だがすぐに頭が朦朧とし始め、ついには意識を失った。
 洸輔が一酸化炭素中毒によって絶命するのにそう時間はかからなかったが、炎は飽きもせず、その身をじわじわと侵食していった。
 こうして、釣堀小屋に集まった生徒たちは、1人を除いて全員が敗退したのだった。

男子7番 駒澤岸郎        
男子1番 青木洸輔 死亡
【残り25人】