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25
 にわかに風が強くなった。
 畠山智宏(男子12番)は壁に背を預け、カーテンの隙間から窓の外を眺めていた。辺りにはちょっとした大きさを持つ池と、霧の浮く芝生と、それを遠巻きに囲む雑木林があるばかりだ。その木々のすぐ上、空がぼんやりと白みはじめている。時刻は午前6時を迎えようとしていた。
「……朝か」
 智宏がぽつりと呟くと、斜め後ろのほうからこだまが返ってきた。
「朝か……」
 振り向くと、肩までの髪を真ん中でわけた青木洸輔(男子1番)が、事務机の上で脚をマッサージしながらこちらを見ていた。
「朝だ」
「朝だな」
「朝だよ」
「朝だろうな……」
 ふたりで意味もなく繰り返し、同時に深いため息をついた。
 長い長い夜も明け、そろそろ例の島内放送が始まる時間というわけだ。あのとってもありがたい担当官のお達しをまた聞けるのだと思うと、胸糞悪いような、嬉しいような、なんだか妙な気分だった。
「放送終わったら、ちょっとは寝ろよな」
 青木洸輔がいかにもだるそうに言う。彼は大抵こういう喋り方をしたが、今日の疲れようはいっそ哀れなほどだ。
「青木こそ」
「俺はまあ、いいんだ。眠れそうにない」
「眠れなくても、目をつむって寝っ転がるだけでだいぶん違うらしいぞ」
「出た、おじいちゃんの知恵袋」
 智宏が苦笑したところで、話は一段落ついた。しばらくの沈黙のあと、洸輔がポケットから煙草の箱を取り出し(“わかな”。安い煙草の代名詞だ)――一本咥えたところで動作を止めた。
「……あ、悪い、きみらの前で吸っちゃまずいよな」
「え? べつにかまわんよ」
 洸輔の馴れた所作には少々面食らったが、智宏だって煙草に手を出したことくらいある。咎める気はなかった。
「いや、だって」洸輔はそそくさと煙草を箱に戻した。「煙草は背を伸びなくさせるっていうだろ」
 ああ、と納得しかけて、智宏はすぐに言い返した。
「俺のことより自分のことを考えたらどうだ。160しかないくせに」
「161センチだ、失礼な」
 少しだけ和やかな空気が流れた。しかし、こちらもあちらも気が滅入っているためか、談笑するまでには至らない。すぐに沈黙が舞い降り、狭い室内に響くのは寝息だけとなった。
 釣り道具が折り重なっていたり、ダンボールやビールケースが積まれていたり、チラシや藁半紙が散乱していたりで足の踏み場もないところに、仲間たちはどうにか居場所を作り、横になっていた。起きているのは智宏と洸輔、それに駒澤岸郎(男子7番)の3人だ。
 今から2時間ほど前のこと。みんなで少しだけ今後のことを話し合い、しかし難局を打開できるような妙案は浮かばなかった。そんなとき、俺が起きてるから、と洸輔が全員に睡眠を勧めてくれたのだ。せっかくの好意だったが、彼ひとりに見張りを任せるのは気が引けたので、智宏はそれに従わなかった。岸郎のほうはもっとおおっぴらに、君たちふたりでは頼りないと申し立て、結局3人ずつ交代で休むことになったのだった。
 その岸郎は、小屋の角、本棚と壁に挟まれたわずかなスペースで正座をし、虚空を見つめていた。その目元がときどき、神経質そうにぴくぴくと痙攣している。
「大丈夫なのか」
 智宏は小声で洸輔に尋ねた。なにが、という表情が返ってくる。
「駒澤だよ。湯浅は冷静だって言ってたが、俺の目にゃ、そうとう参ってるように見える」
 “参っているように見える”とは、智宏にしてみればかなりオブラートに包んだ物言いだ。本当は“今にもヒステリーを起こしそうで怖い”だとか、俗っぽく言えば“イっちゃってる”ようにしか思えない。とどのつまり、智宏はこのオカルト男が苦手なのだ。
「大丈夫だよ。いつもどおり。な、コマ」
 洸輔は気軽なふうに岸郎を一瞥した。
「何の話だろう」岸郎が瞳だけをついとこちらに向ける。「それにしても、いつまでたってもにおいが消えないな。さっきから違うものも混じっている。窓を開けないか」
「な、いつもどおりだろ」
 笑いかけてくる洸輔に、智宏はしぶりしぶり頷いた。
「青木、窓」
「わかったわかった。畠山、悪いけどちょっとだけ開けて」
 風が出てるがいいのかと問うたところ、いいよいいよとのことだったので、智宏はサッシをわずかに引いた。朝の清浄な空気を広い額に受けながら、智宏は考えた。
 合わないものは合わない、そう割り切ってしまえばいい。そもそも洸輔と上手く付き合えているくらいだ、彼もそれほどとっつきにくくないのかもしれない――。腹の中にふつふつと湧き上がる苛立ちを、智宏は前向きな思考で封じ込めようとした。しかし考えれば考えるほど、岸郎に対する感情はとげとげしくなってゆく。寒気がしてしかたがなかった、度重なる幽霊話に、少しばかり独善的な態度に、しまいには喋るときに薬指の爪を弾くという細かな癖にまで。人を嫌うってこういうことか、と思った。
 それに、気持ちをふさぐものはこれだけに止まらなかった。
 岸郎と対角線上の隅、衝立の向こうから足だけ覗かせている根尾倫香(女子10番)を見た。布団や毛布など、上にかけるものが何もないというのは気の毒だ。洸輔が毛布代わりにと自らのスウェットパーカを提供してくれたのだが、あまり親しくない男子のものだからなのか、倫香は満面で拒否の意を表した。あいにく智宏は半袖の、横田翼(男子19番)は長袖のカッターシャツしか着ておらず、倫香は結局、スカート姿という寒そうな恰好のまま眠ることになったのだった。
 しかし正直、倫香が休息をとってくれるとは意外だった。倫香の口から直接聞いたわけではないが、彼女はおそらくここにいる全員を疑っている。支給武器である装飾短剣を手放さないことがなによりの証拠だ。それが、木製の衝立に隠れているとは言え、無防備にも寝顔を晒すなんて。倫香も疲労困憊しているということだろうか、あの気の強い倫香が――。
「根尾さんのこと考えてんの?」
 不意に洸輔に質問された。倫香の靴下に射し込む暁の光を見つめたまま、力なく頷く。
「畠山はほんとに、根尾さん、根尾さんだな」
 次に届いた言葉は、はっとするほど張りのないものだった。洸輔のほうに首を回すと、優しくも見え、皮肉めいているようにも見える、複雑な笑みがそこにあった。
「どうした?」
 智宏は思わず尋ねた。すると洸輔はごまかすようにひざをさすり、「なあんか、いいよなあ」とつぶやいた。
「なんだよ藪から棒に」
「いいよなあ、素直で。無償の愛って言うの? そういうふうに人のこと考えられるって、羨ましいよな」
 耳慣れない賛辞に気恥ずかしくなったが、どうやらふざけて言っているのではないようだ。
「なんだよ。やめてくれよ、気色の悪い」
「いや、ほんとに。俺はさ、自分ばっかりだから」
 そうして洸輔は、自嘲するように口元を歪めるのだった。相手が何を思っているのか推察しかねて、智宏はさしあたり、自分の話題に徹することにした。
「俺だって、自分のためにやってるのかもわからん。倫香の笑ってるところが見たいだけなんだ、つまるところ」
 あの子の笑顔は抜群にかわいいんだ、と、これは心の中で付け加えた。
「いつも思うよ、倫香はどう感じてるのかって。俺だったら鬱陶しいぞ、こんな説教くさいやつ」
「ま、口うるさいのは確かだよな」
 洸輔の口調がようやく冗談めかしてきたので、智宏は安心して「言ったな」と笑い返した。
「でも根尾さんみたいな人には、畠山の気の使い方が合ってると思うよ。横田もまあいい線いってるけど」
「……そうかな」智宏は照れながらも、はたと聞きとがめた。「待て。翼がなんだって? 気を使ってるって?」
「ああ。俺にはそう見えるけど」
 洸輔が入り口の前でぐっすり伸びている横田翼を顧み、智宏もそれを真似た。
 狐につままれたような気分だった。翼が人に心を配っているなんて、あのわんぱくにいつも手を焼かされている側からすればいかにもお笑い種だ。しかし、洸輔にはそう見えるらしい。自分が気付いていないだけで、もしかすると、もしかするのだろうか?
「そういえば」
 普段の親友のふるまいを早送りで思い起こしていたところ、洸輔が突然、失敗したというふうに声を出した。
「話してなかったっけか、小田のこと」
 智宏は首を傾げた。洸輔の口から小田春生(男子3番)の名前が出たのは、プログラムが開始してからはこれがはじめてだ。
「あー、やっぱ話してなかった」洸輔はきまり悪そうに腿を掻いた。「俺さ、あの小学校出てから体育館に寄ったんだ」
 智宏はそこで、おや、と思った。洸輔といえば、あらゆる授業の出席率が地を這っていて、特に体育で彼の姿を見ることはほとんどなかった。青木洸輔と体育館という組み合わせは、秋原先生と師弟愛くらい不釣合いなものだ。
 話は続いていた。
「で、しばらく中でぼーっとしてたら、急にドアが開くの。なんだと思ったら、金髪がな、ちょっと見えてんだよ。当然すぐ、気付かれないようにほかのドアから出た。で、ちょっと遠くからしばらく観察してみたら、でっかいやつがドアノブに針金かなんかを巻きつけててな。あれたぶん、俺を閉じ込めようとしてたんだ。もう、めちゃめちゃ怖かった」
 相槌を打ちながら、頭の中でその光景を思い浮かべた。クラスでただひとりの金髪の持ち主、そしてクラスで一番の不良である小田春生が、自分のことを黙って覗いている。身震いするくらい恐ろしい状況だ。
「察するよ……。小田は要注意ってことだな」
「ああ。みんなが起きたら改めて言うよ」
 洸輔は仲間を見回しながら、ことさら厭わしそうに右ひざを撫でた。智宏はそこで、洸輔が先ほどから脚を気にしていたことに思い当たった。
 どうかしたのかと、相手のひざを指差した。すると、洸輔は少し戸惑ったように肩をすくめ、いや、と口をもごもごさせた。そんなとき、これまで大人しくしていた駒澤岸郎がいきなり食って掛かってきた。
「困るな、青木。なぜそんな大事な情報を黙っていた?」
「ごめん、忘れてた」
「そんなに怖かったのなら忘れるはずがないだろう」
 彼らふたりは普段から親しかったはずだが、なるほど、駒澤岸郎の辞書に身内びいきという言葉はないらしい。仲裁に入ったほうがいいだろうか、智宏がそう思った矢先、小屋の隅でごそごそと物音がして、内紛の火種は灯るタイミングを失った。
 一同が注目した先、ダンボールの山の谷間からは、湯浅荘吾(男子18番)の細面がひょっこりと覗いていた。
「揉め事か?」
「ごめん、起こした?」
 洸輔が謝ると、荘吾は穏やかに目を細め、すっくと立ち上がった。
「いやいや。尿意を催してしまってだな。ちっと外出てくるわ」
「もうそろそろ放送だが」
 そう引き止める岸郎に対し、荘吾は人差し指を左右に振った。
「だからだよ駒澤ちゃん。放送中はみんな放送に集中してるでしょ。だから、そのすきに、な。あとで内容教えてね」
「教えるものか、自分で聞いておけ」
 そんなお小言をすりぬけながら小屋を出ようとした荘吾は、しかし通行の邪魔をしている翼をまたぎかけたところで立ち止まった。
「洸ちゃん、ほれ」それから振り返りざまになにか白いものを放る。「俺も今さらだけど、プレゼント」
 正確な制球で洸輔の手中に収まったそれは、煙草だった。青いアルファベットでなにやら書かれてある。横文字が苦手な智宏にはどう発音するのかわからなかったが、洸輔はいともあっさりと読み上げた。
「あ……パーラメント」
「そのとおり」荘吾は自慢顔で、ぽかんとしている智宏たちに説明した。「驚くなかれ、そりゃ輸入品だ。それも、ちっとばかし高級な。店を物色してたらな、カウンターの裏に置いてあったからパクってきちゃったよ」
「くれんの? まじで?」
「もちろんだ。心ゆくまでお吸いあそばせ」
 荘吾は両手を広げて奨励の意を示すと、翼を飛び越え、ようやく出入り口をくぐっていった。
「まったく、未成年だというのに、モラルもへったくれもないな」
 岸郎が不平を漏らすのにもかまわず、洸輔はその嗜好品を嬉しそうに眺めていた。そしてしばらくの後、ふと面を上げた。
「あ、でも、畠山……」
 洸輔がひどく気まずそうにしているのを見て、智宏は思わず吹き出してしまった。先ほどはほんの軽口かと思っていたが、どうやら彼は、本気で智宏たちの身長のことを心配しているらしい。
「吸え、吸え。吸って、なにもかにも吹っ飛ばせ」
 智宏が笑いをこらえながら言うと、洸輔は今まで見せたこともないような嬉々とした表情をして、丁寧に包装を剥いでいくのだった。
 なんだかこちらまで嬉しくなってきたが、和んでいる場合でもないようだ。島内放送まであと1分足らずと差し迫っている。
 倫香を起こさなければならなかった。大音量で眠りを中断されるのは気分が悪いに違いない、これ以上倫香の神経を刺激するのはあまりにかわいそうだ。腕時計に目をやってそう思い立った智宏は、途中翼を足で小突きつつ、倫香の元へ急いだ。
「んー……」智宏の鍛えられた蹴りによって否応なく起床させられた翼が、夢うつつの声を出した。「ねー……なんか変なにおいしない?」
「翼までそんなこと言わんでくれよ」
 智宏は寝坊助に文句を垂れながら、衝立の向こうを覗いた。
 倫香はすでに目を開けていた。智宏の姿を認識した瞬間、壁にもたれていた背を正し、慌てて身構える。寝起きなのに威勢のいいことだ。
 ――いや。
 智宏はすぐに考え直した。これは今しがた覚醒したような顔つきではない。視線は冴え冴えと尖り、体全体から警戒心が拡散しているようだった。
「倫香、まさかずっと起きて……」
「あれ、誰かの水、こぼれてるよ」
 翼のそんなのん気な声によって、智宏の思考はいったん中断された。
 見ると、翼がいつの間にやら、先ほどまで湯浅荘吾のいたあたりに突っ立っていた。その足元に支給品のペットボトルが倒れている。口が開いているらしく、中身は半ばこぼれ、今もちょろちょろと床に広がりつつあった。
「なんだ、湯浅のだろうか」岸郎が呆れ気味に、翼の背後を陣取った。「きちんと管理しておかないなんてだらしのないやつだな。自業自得だ、喉が渇いたといっても水はわけてやらないぞ」
「厳しいねー。でも俺もあげない」
「当然だ」
 そんな会話を翼と交えながら、岸郎は水たまりからペットボトルを拾い上げた。途端、にわかに顔色を変える。
「……水じゃない」
 そして振り返り、叫んだ。
「青木、火をつけるな!」
「え?」
 急に名前を呼ばれた洸輔はきょとんとして、しかしライターの着火レバーに添えられた手は、そのまま押し下げられた。
 次の瞬間、智宏は信じられないものを見た。
 洸輔の手に収まったライターから、すさまじい勢いで火柱が立ち上ったのだ。

【残り30人】