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23
 政府から支給されたアナログウォッチが、ちょうど3時を指し示した。これで新しい禁止エリアがまたひとつ増えたことになる。もっとも、畠山智宏(男子12番)たちのいるB=5エリアにはまだ関係のない話だったが。
 智宏がいるのは、鳥居の塗装が剥げ落ち、神が祀られているはずの本殿がやや傾いた、参拝する気も失せるような古ぼけた神社だった。狭い境内を覆うように高木が立ち並んでいて、外からは様子が窺いにくい。隠れて休憩するにはちょうどいい場所だった。
 本殿の土台に背をもたれていた智宏は、空を仰ぎ、友人に声をかけた。
「翼、やっぱりだめだ」
 智宏の見上げる先には、葉をこんもりと纏ったカシの木が立っていた。そのてっぺんあたり、太い枝にまたがって足をぶらぶらさせていた横田翼(男子19番)は、不満気に返事をよこした。
「えー、なんで? 気持ちいいよ。マイナスイオンたっぷりでさ。……あ、もしかしてはっつぁん、木登りできないの?」
「なに? 馬鹿を言え。うちのじいちゃんは子どもの時分、学校で木登りが一等うまかったんだからな。そのじいちゃんの孫だぞ、俺は」
「じゃあ証明してよ」
「よし……」
 実力を見て驚くなよと続けようとして、智宏は思いとどまった。今は競争心を燃やしている場合ではなかった。
「倫香のことを考えてみろ」
「倫香なら登れるっしょ。運動神経いいもん。スパッツ穿いてるからパンツ丸見えの心配もないし。ね」
「おい、なんでスカートの中身のことまで知ってるんだよ」
「中身って……はっつぁん、そのオヤジな発想、どうにかしたほうがいいよ」
 智宏の隣で体育すわりをしている根尾倫香(女子10番)は、ただただ翼を見据えるばかりだった。
 普段の倫香なら、男たちの馬鹿な会話に気を悪くしそうなものだが、文句を言うことはおろか口を開くことさえしない。智宏も翼も、この島に着いてからこっち、倫香の声を聞いていなかった。
 相変わらずの倫香に一抹の懸念を抱きながらも、智宏は翼に指摘した。
「今は夜だから目立ちにくいがな、昼はそれこそ丸見えだろうよ。想像以上に葉っぱが薄い。見つかったときに逃げ場もない」
「あーあ、いい隠れ場所だと思ったんだけど」
 翼はがっくりと頭を垂れた。
 木の上に隠れないか、と持ち出したのは翼だった。建物の中にはどんな先客がいるかわからない。かといって、屋外では心もとない。その点、木の上なら誰しもの意表を突けるし、高いからあたりを見渡せるというのだ。
「残念だったな」智宏は友人の労をねぎらった。「着想としちゃ悪くない。まあ、まずは降りて……」
 ふと、智宏は黙り込んだ。
 呼吸を止め、そっと右側へ顔を向ける。喋くっていたのではっきりと断言できないが、木の枝が折れるような音が聞こえた気がしたのだ。
「どしたの?」
 友人の緊張を察知したのか、翼は小声で尋ねた。
「降りてくるな。そのままだ」
 智宏は手を挙げて翼を制した。倫香には身を低くするように促し(ありがたいことに素直に従ってくれた)、自身も社の壁に張り付いた。
 視線の方向、鳥居をくぐった先には下りの石段がある。本殿と鳥居の間には、神の安置された社を守るように拝殿が立ちはだかっている。石畳の敷かれた境内を囲むのは、鬱蒼とした林だ。それらのどこに人間が潜んでいてもおかしくないように思えた。しかしあたりが薄暗いために、智宏には人影の有無を確認できなかった。
「あっ、誰かいる」
 頭上で息をのむ気配がした。途端に強張った顔を上げると、石段のあたりを翼が指差していた。どうやら木の上は本当に見晴らしがいいらしい。
「誰だ?」
「わかんない。でもなんか、男みたいだよ。ズボン穿いてる」
「ひとりか?」
「うん。携帯でも持ってんのかな、なんか光ってる。まっすぐ階段のぼってくる」
 さしあたり尋ねてみたものの、情報は不確かで、相手の正体を掴む糸口にはならなかった。しかし、それがどんなに善人で、もし仲間を捜しているとしても、合流するという選択肢はこちらにはない。この神社に辿り着いてすぐ、お互いに(主に翼とだが)意思を確認しあったのだ。――3人のほかに誰も加えない、3人はずっと一緒にいる、と。
「こっちに気づいてんのかな」翼ののんきな声に、少しだけ焦燥の色がにじんでいた。「どーしよ、はっつぁん」
「とりあえず隠れよう。翼、静かに降りてこられるな?」
 智宏は高らかに手を差し伸べた。猿のような身軽さでするすると木を駆け上がった翼のこと、難なく地上に降り立ってくれるだろうと思ったのだ。
 ところが、一拍おいて降ってきた返事は、智宏の予想に反していた。
「んー。俺、ここにいるよ」
「え?」
 自分でも口があんぐりと開くのがわかった。
「俺が静かにできると思う?」翼はあきれ気味に笑った。「ここ、夜なら目立ちにくいんでしょ? ほらほら、ふたりも隠れなきゃ」
 はやく行って、と手をひらひらさせる翼を見ながら、智宏はしかし、しばらく逡巡した。体内時計が急かしていたが、親友と離れるという不安が決断を鈍らせる。
「はっつぁんはっつぁん、あの人、神社まであと階段5段だよ。あ、2段抜かしした」
「わかったよ」
 智宏はついに腹を決めた。
 社と隣接している拝殿の縁の下を、当座の隠れ場所にすることにした。倫香を誘導して先にもぐらせ、智宏もあとに続いた。振り返ると、出っ張った縁側にほとんど遮られてはいるが、翼が下に伸ばした手でピースサインを作っているのが見えた。
 そういえば、5ヵ月前も同じような状況だったな――。
 智宏は今年の正月のことを思い出していた。三津屋中学校の近所にある神社へ、いつもの3人で初詣に出向いたのだ。年明けと同時に、眠い目をこすりながら。
「富士山と鷹となすびが初夢に出てきますように」
 賽銭を投げたあと、翼が神への願い事を口に出す。
「すっごく智宏らしい結果よね」
 おみくじで末吉を引いた智宏に、倫香が大吉を見せびらかす。
 倫香と翼がからからと笑い、智宏はむっとする。
 他愛のない、どこにでもあるようなひとときだった。しかしこれ以上ないほど平穏だった。
 真夜中。神社。翼と倫香と自分。5ヵ月前と今とでは多くのことが共通する。それなのに、何もかもが違っている。
「……ちくしょう」
 悔しさが腹の底から込みあげてきた。智宏はへこたれそうな精神に鞭打って、倫香の手を引き、少しだけ奥へ進んだ。
 柱や縁側が織り成す四角い枠の中に、人間の下肢が浮き上がっていた。翼の言うとおり、学校指定の灰色のスラックスを身につけている。体型で正体を見極めようと思ったが、布越しではよくわからない。
 人影は参道の真ん中でしばらく突っ立っていたが、やがて正面階段を上がると、拝殿の中に足を踏み入れた。男が一歩踏み出すたび、床がいやに騒がしく軋む。その真下に自分たちがいるのだと考えると、呼吸をすることさえ気が引けた。さぞかし倫香も怯えているだろうと思ったが、この暗がりでは彼女がどんな表情をしているのか見えなかった。
 男は屋内を一通り歩き回ると、すぐに表へ出てきた。ゆっくりとした歩調で階段を降り、左に曲がった。
 人を捜しているような足つきだと、智宏には思えた。やはりこちらの存在を知られているのだろうか? もしそうなら、見つかるのは時間の問題だ。すぐにでも逃げ出した方が安全かもしれない。
 しかし、建物や物陰をしらみつぶしに調べているだけ、という可能性も捨てきれない。その場合、むやみに移動すれば、何事もなくやり過ごせるチャンスをみすみす手放すことになる。
 それに、翼のことはどうするのか。
 さまざまな問題が両肩にのしかかって、智宏の小さな体を今にも押しつぶしそうだった。
 その間に、人影は拝殿の裏側へ回りこんでいた。そこはカシの木の根元にあたるが、幸い男が木の上の少年に気付いた様子はない。こちらにつま先を向け、再び突っ立っている。
 そしてついに、人影の注意が縁の下に向く気配がした――。
 林に逃げ込むぞ、そう倫香に囁こうとしたそのときだった。
「うりゃあっ!」
 素っ頓狂な叫び声と、がさがさっ、と木が揺らぐ音が聞こえたかと思うと、男の体が突然なだれた。
「うえっ。なっ……」
 何事かと思った途端、男の胸に飛び込むムササビのような翼が目に入った。男は体勢を戻すこともままならず仰向けに倒れた。その拍子に、手からなにか、CDケースくらいの大きさをした光がこぼれた。
「はっつぁん! そのレーダーみたいなの取って!」
 翼が人影に馬乗りになりながら叫ぶ。よく状況が飲み込めないものの、“レーダーみたいなの”が今落ちたものだということはわかった。そこで待ってて、と倫香に言い、智宏は男の枕元めがけて滑り込んだ。四角い光をすくい、バッタのごとく飛び退いた。
「よっし! ナイスはっつぁん!」
 体を反転させたと同時に歓声が上がった。
 見るとそこには、ガッツポーズを決めている翼と、あわれにもその下敷きになっている男がいた。細くつり上がった目に細面、まるきりキツネを思わせる風貌の、その男が。
「おいおい、勘弁してくれよ……」
 湯浅荘吾(男子18番)は苦々しげに咳をした。鎖骨のあたりを押さえている腕や腰を固めている脚を引き剥がそうとするが、腹の上の小男はがっしりしがみついて離れない。
 智宏の頭は、次第に現状を把握していった。親友越しにカシの木を見上げる。ゆうに5メートルはあるそこから、翼は湯浅荘吾に飛びかかったのだ。
「そろそろどいてくれない?」
「まだだ」
 智宏は厳しく言い放ち、部外者を観察しはじめた。湯浅荘吾から連想される言葉といえば、“八方美人”や“軽薄”といった類のものだ。智宏は普段から、この男にいいイメージを持っていなかった。
「ほれこのとおり、何も持ってない」
 要領のよい荘吾は、自ら空の両手を頭上に伸ばした。ブレザーのポケットも見てみたが、膨らみはない。デイパックはぴったりと背中に負われており、翼から解放されない限り中のものを取り出すことは難しいだろう。
「まったく、無茶なことをするよ、翼は……」
「でもさ」翼は智宏の手元を指差した。「そんなん見せられたら、はっつぁんだって同じことすると思うよ」
 智宏はそのとき初めて手中の機械に目を落とした。
 ぼうっと光る液晶画面の上、いくつかの小さな図形が点滅している。画面構成はずっとシンプルだが、それは父の車に装置されているカーナビゲーションとよく似ていた。
「なるほど」これで合点がいった。「レーダーってこういうことか」
「なんだはっつぁん、いまわかったの?」
「悪かったな、頭の回転が遅くて」
 この機械はおそらく、なんらかの方法で生徒の位置を探知しているのだろう。自分たちが隠れていようがいまいが、これを持った湯浅荘吾からは逃れられなかったわけだ。
「なあ、いい話があるんだけど、乗ってみないか?」
 疲れた表情でこちらを眺めていた荘吾だったが、ことさらに明るく切り出した。「えっ、どんな?」と、好奇心旺盛な翼がすばやく興味を示す。
「お、いい反応だな」荘吾はよく発達した糸切り歯を見せて笑った。「俺な、いま仲間を捜してるんだ。東のはずれに池があるだろ、そこにもう何人か集まっててな……」
 しかし、荘吾の提案に耳を貸すより先に、智宏はおかしなことに気づいていた。
 ここには4人の人間がいるはずだが、レーダーの画面上には、三角形がひとつと丸印がふたつあるきりだ。記号の数が合わない。
「湯浅。これは何の機械だ?」
 智宏が話の腰を折ると、荘吾は苦笑を交えて答えた。
「ああ、悪い、まだ説明してなかったな。そりゃ武器探知機だ」
「やっぱレーダーだった」
 翼が得意げに胸を張った。
 なるほど、と智宏は口の中で呟いた。おそらくは三角印が探知機自身を、丸印が他の武器を表しているわけだ。智宏は武器を捨ててしまっているため、これで辻褄が合う。
 ――そうすると、湯浅荘吾はこちらを2人組だと思っているわけか?
 相手が倫香をいないものと認識しているのなら、そのまま隠しておくが吉だ。そもそも自分たちに合流の意志はない。荘吾にはこのままこの場から立ち去ってもらう、それがこちらにとってもあちらにとっても最善の対処だろう――。
「なあ」荘吾は思いついたように左右を見回し、翼の方に頭をもたげた。「根尾の倫ちゃんは?」
「そこにいるよ」
 あっと思ったが時すでに遅く、翼は簡潔かつ正確に真実を吐き出していた。
 あまりの素早さに声も出せなかった。相棒が目や口をまんまるく開けるのを見て、翼は眉に疑問符を浮かべた。
「えー? べつにいいじゃん。どうせばれてたんだからさ」
「……ばれてなかったんだよ」
「え? なにそれ?」
「翼。俺がフグをうっちゃったことを忘れたわけじゃあるまいな?」
 今度は翼が口を広げる番だった。
 ふたりが同じような表情で互いを見合わせていると、荘吾がさも愉快そうに声を立てた。
「倫ちゃんも出てきな。俺は動けない。安全だ」
 荘吾が穏やかに言うと、倫香が縁の下からおずおずと這い出てきた。まるで彼女の恐怖心を代弁するかのように、支給武器の装飾短剣が胸に抱かれている。呆然としていた智宏は、弾かれたように倫香の元へ駆け寄った。
 荘吾は、倫香、智宏、それから翼の順に視線を巡らせた。
「ああ、やっぱり3人一緒がしっくりくるな、ちびっこ3兄弟は」
「なんだよ、ちびっこ3兄弟って。はっつぁんとひとまとめにしてもらっちゃ困るよ」
「どういう意味だよ」
 荘吾から翼へ、翼から智宏へと、軽口が連鎖していく。智宏はついつい乗せられてしまった自分を悔やむと同時に、これが八方美人の処世術かと面食らった。まずは単純な翼を引き込み、その翼を餌にして智宏を釣り上げる。荘吾はこちらの性格と力関係を理解し、上手く利用したのだ。
 向こうは相変わらず翼の尻に敷かれているし、武器探知機とやらは智宏の手中にある。こちらに分があることは間違いない。にも関わらず、キツネのような相手の顔が、自分の頑なな心まで迷わせる気がしてならなかった。
 荘吾はその顔に優しげな笑みを浮かべた。
「俺はそのレーダーちゃんを使って、クラスのみんなを捜そうと思う。頭がいいやつ、メカに強いやつ、全員だ。全員集まれば何かできそうな気がしないか?」
 言葉の意味をよく染み渡らせるようにだろうか、とりわけゆっくりと続けた。なるほどと思わせるに事足りる、真摯な口調だった。
「なんか、またみんなと会いたくなってきちゃった」
 ぽつりと翼が呟く。智宏が視線をやると、翼は“どーする?”と書いた顔をこちらに向けた。意見を求めてはいるものの、翼のことだ、心はもう決まっているのだろう。
 次に隣を見た。倫香の目は発案者を鋭く照射している。怯えの色は消えないが、その眼光の中に、普段の気の強い彼女を垣間見た気がした。
「3人で生き残りたいと思うなら、とりあえず、俺についてきてみないか?」
 荘吾が駄目を押した。
 もしまた(すでに死んでしまったクラスメイトは別にして)3年3組の全員で円陣を組むことができたなら、それは願ってもない幸いだ。3人寄れば文殊の知恵というが、30人寄ればこのくそみそな現状を打破できるかもしれない。
 ――そうだ、と智宏は思う。なにも話を丸呑みにすることはないのだ。都合が悪ければ引き返せばいい。自分たちにはすばしっこさという武器がある。
 にわかにこの博打に勝つ自信が湧いてきた。
「わかった」智宏は言った。「まずは、これまで誰が集まってるかを教えてもらおうか」

【残り30人】