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22
 西村美依(女子9番)にはターゲットたちの目的がわかりかけていた。
 彼女たちはどうも、例の“殺したいひとり”を捜しているらしい。現に今、“あゆみしま住宅”という看板が掲げられた集合住宅の中で、部屋という部屋を探索している。彼女たちがときどき「いないなあ」とぼやいていることから、自分の考えに自信をもってよさそうだった。
 その集合住宅のごく近くに美依は潜んでいた。片側一斜線の道路を挟んだ、真向かいの邸宅だ。高い塀に囲まれた庭には松や紅葉の木が程よいバランスで植わり、石造りの池が掘られている。その奥、大きな木造家屋の傍らには大きな犬小屋がある。この家構えからして、さぞかし立派な犬が飼われていたことだろう。一般庶民の美依は少し気後れしながらも、開きっぱなしの門からお邪魔して、塀の陰に隠れたのだった。
 なぜここなのか――美依は疑問に思った。美依が木下亜央(女子3番)高橋絹代(女子5番)を見つけた東の商店街では、誰かを捜している様子など微塵もみせなかった。わざわざ1時間近くもかけて、ここ、西の集落まで歩いてきたのはどういうわけなのだろうか。
 しかし、その答えも美依にはわかるような気がした。美依の目に映りこんでいる光が、彼女たちの気持ちを代弁しているようだった。
 その光は焚火や篝火などの類ではなく、月が何かに反射しているようでもなかった。温かみがなくけばけばしい、人工的な灯りだ。電気をつけられる場所といえば、今この島にはひとつしかない。
 小学校。月家具たち、政府の人間がこもっているあの場所だ。
 亜央と絹代はどうやらスタート地点を目指して、東の端から西の端までを移動してきたらしい。正確に言うと、小学校の付近にある、人間が隠れていそうな場所だ。禁止エリアのことを考慮してか、距離にだいぶ幅をもたせてはいるが、そうに違いない。きっと、学校の近くから順番に調べていくつもりなのだ。“殺したいひとり”がそう遠くまで行っていないと踏んだのかもしれない。
 集合住宅ごし、ずっと遠くにある光を見つめながら、美依は出発したときのことを思い浮かべた。校舎と隣接する体育館からは灯りが漏れていた。そのまばゆい中へ竹岡鳴(男子10番)を放り込み、美依は自由を得たのだった。まさか再びその光を目にするとは思わなかった。鳴の亡霊(まだ死んでないけど、たぶん)に引き寄せられた気がして、美依は少し気味が悪くなった。
 集合住宅の入り口を見やると、家捜しを終えた様子の亜央と絹代が出てきたところだった。平然としている亜央に対し、絹代の方は一仕事終えたような表情で、顔じゅうの汗をハンドタオルで拭っている。建物を調べたのはこの“あゆみしま住宅”がはじめてだというのに、このさき大丈夫だろうか。
 美依の思ったとおり、絹代は疲れ果てているらしく、亜央に提案をした。
「ねえ、休憩しない?」
 そう言ったと同時に、アスファルトの道にへたり込む。亜央は怒ったように振り返った。
「……やいよ。……」
「もうだめ、動けない」
 絹代は力なくかぶりを振った。
 絹代というと、3階にある3組の教室に辿り着くたび死にそうな顔をしているような運動音痴だ。その彼女がここまで頑張って歩いてきたことは賞賛に値するが、道の真ん中で座り込むのは危険だった。幸い亜央も同じことを考えたらしく、すっかり地に根の張った巨体を、集合住宅の前に立つ看板の方へひきずりはじめた。
「いたいいたい、お尻がずるむける」
 わめく絹代をどうにか運び、亜央自身もその隣に腰をおろす。大げさな看板がふたりを覆い隠してくれたおかげで、美依の位置からその姿は見えなくなった。
「はあ、おなかすいた」
「……いよ……」
「うん、わかってるけど、ねえ。晩ごはん、パンたったの1個だよ。こんなにおなかすいたのってはじめてだよ」
 一息ついたところで、ふたりはまた雑談を始めた。
 物陰が増えたおかげで、美依はふたりをごく近くに捉えることができていた。この距離なら絹代のにぎやかなおしゃべりがもれなく耳に届く。一方の亜央の声はあいかわらず聞き取りづらいが、絹代の受け答えがあるおかげで、話の流れはだいたい掴めた。暇つぶしにアフレコをする必要はなくなったわけだ。
 頭を空っぽにしていても話は勝手に進んでくれる。ちょうど、バラエティ番組を観ているときと同じような具合だ。ここにソファでもあれば完璧だったのだが、今から用意するわけにもいかないので、美依はその場に座り込んだ。ターゲットたちは“今食べたいもの”の話に花を咲かせ始めていた。
 ふいに息遣いを感じた。
 美依は振り向き、10センチほど飛び上がった。とうの昔に姿を消していると思っていたそれが、すぐそばにいたので。
 犬が突っ立っていた。ところどころに白い土がついた、毛艶のない黒い柴犬だった。美依は声を上げそうになり、とっさに口をふさいだ。
 ――犬だ。どこからどう見ても、生きた犬だ。首輪をしている。ということは、この島の住民だ。
 黒柴はまんまるい目で、ただひたすら美依を見つめていた。ふたつの深い深い黒に吸い込まれそうになりながら、なんとか心臓を静めた。
 島の住人は1ヵ月ほど前に住まいを追われている。この犬がこの家のペットか、他の家から迷い込んできたのかはわからないが、どっちにしろ、飼い主に置いてけぼりをくらったらしい。
 吠えられてはたまらないので、追い払おうと手を振った。しかし黒柴は、退くことも、視線を逸らすこともなかった。黒豆のような瞳を潤ませ、なにやら物欲しそうにしている。とりわけて動物好きでない美依にも、相手が何を求めているのか想像がついた。
「こっちは食べ物なんてちょっとしか持ってないよ。ただでさえ足りないんだから、君にあげられるわけないの。それにあたし、薄情者だしね」
 テレパシーが通用するような気がして、美依はひたすら念じた。気持ちが届いているのかいないのか、黒柴は美依にくっついたままだった。
 あからさまにいやな顔をしてみたが、相手はまるで意に介しなかった。移動しようにも、絹代や亜央に気取られてしまう可能性がある。標的に近づきすぎてしまったことを美依は少しばかり後悔した。
「君ねー……」
 苛立ちにまかせて思わず舌打ちをしたその瞬間、わふ、と犬が息を吐いた。美依は慌てて相手の鼻先に手のひらをかざし、自分の口の前で人差し指を立てた。その黒い顔は一瞬きょとんとしたが、すぐにまた、上目遣いに戻った。次は確実に吠えるつもりだ、そう直感した。
「もう!」
 美依は地団駄踏みたい衝動を抑え、背中のデイパックからパンの包みを取り出した。非常に癪だったが、なるべく音を立てないように封を切り、中身を犬の足元に置いた。犬は目にも止まらぬ速さで尻尾を振り、久方ぶりの食事にかぶりついた。
 美依は長くため息をついた。これでしばらくは静かにしていてくれるだろう。それにしても、これからをパンひとつだけで乗り切るというのは、母の訓練によって断食慣れしている美依でもつらいものがある。どっと疲れを感じ、その元凶から目をはがした。
「ええ? もう行くの?」
 ちょうど木下亜央が歩き始めたところだった。高橋絹代がげんなりした顔をして、しぶしぶ亜央にならう。パンの包みを放り投げ、美依も尾行を再開した。
 しかし、1分も経たないうちに、その行進は中断されることになった。
 何を思ったか、亜央が唐突に足を止めたのだ。あとに付いていた絹代は先導者にぶつかり、その15メートルほど後ろで美依は生垣の陰に隠れた。
 絹代の衝撃によろめきながら、亜央が珍しく声を上げた。
「ない! ヨシコの服!」
「ヨシコ? ……って、誰?」
 絹代は疑問を投げたが、亜央の後頭部にぶつけた鼻の安否の方が気になるらしく、尋ね方はおざなりだった。さすがは相棒、不思議な発言に対する受け答えも手馴れたものだ。
「ポケットに入れておいたの! ヨシコの服。なのになくなってる!」
「だからヨシコって……」
 亜央はうろたえた様子で絹代に駆け寄った。後ずさりする絹代のポケットを無理やり引っ張り出して、それでも「ない、ない」と繰り返した。
 これまでのんびりとしていた亜央が、すっかりと冷静さを欠いている。なにがなんだかよくわからないが、美依としては、なくなったものを諦めて行動を再開してほしかった。きっとどこかで落としてしまったのだろう。
 亜央は泣き顔でデイパックの中身をばらまき始めた。その横で、絹代は飛び出したポケットを迷惑そうに納めていたが、急に「あれっ?」と声をひっくり返した。
「私のタオルもない」そして再びポケットを裏返した。「おかしいな。さっきまで使ってたのに」
 絹代の言うとおり、集合住宅から出てきたとき、彼女はハンドタオルで顔を拭いていた。道端に落としたとすれば後ろを歩いている美依が気づくはずだが――。
 何の気なしに美依は自分のポケットに手をやった。そして、すぐに異変に気づいた。
 なくなっていた。教室からもってきたはずの、お気に入りのペンケースとエプロンが。右のポケットにペンケース、左にエプロンを入れていたはずなのに、そのどちらともが忽然と姿を消している。
 もう一度ポケットをかき回してみたが、事実は曲がらなかった。
 これがもし、自分ひとりに起こった出来事であれば、落し物をしたですむだろう。しかし、3人が揃いも揃ってポケットに入れたものを落とすだろうか? そんなことってあるのか?
 美依は薄ら寒さを感じて、あたりを見回した。闇にたたずむ民家があるだけで、そこに変わった様子はなかった。亜央と絹代が同じタイミングで黙り込み、ひんやりとした静寂があたりを包んだ。
 ――落としたのでなければ、いったい何だというのだろう?

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