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10
 空本比菜子(女子4番)は、担任の秋原義昌を捜していた。
「秋原先生……どこっすか」
 近くの民家でしばらく考えた末、比菜子は腹をくくり、職員室にいる兵士たちに質問することにした。突然乱入したにもかかわらず、兵士たちはさほど驚いた様子もなく、相変わらずぼんやりとしている。それぞれが青い顔をして食事のパントマイムをしていたり、空気椅子に挑戦して失敗していたりと、その場を不気味な沈黙が支配していた。
 比菜子はたじろいだが、自分を奮い立たせ、一番近くにいた兵士を睨みつけた。しかし何の反応も見られない。時間の無駄だと気付いたため、すぐに職員室を後にした。去り際に扉を蹴ることも忘れなかったが、それでも兵士たちは無反応だった。
 秋原に一刻も早く会わなければならなかった。
 ただ一目見るだけでいいのだ。たとえ相手が魂を宿していなかったとしても。その手に、顔に、触れたかった。できることならば、ずっとそばにいたかった。
 秋原先生。
 先生、今、どこにいるんですか、先生。
 ベランダで煙草を吸っている姿が最高にかっこよかった。喫煙の副作用だろうか、時折唐突に咳き込むことがあり、そのためによく授業が中断された。咳をするときの仕草がかっこよかった――他の誰よりも。いつも見とれていた。
 見つめるようになったきっかけは、本当に些細な出来事で、向こうは記憶に留めてもいないのかもしれない。しかし、比菜子にとっては特別な思い出だった。
 比菜子の家族はちょっとした曲者の集まりだ。母は元暴走族の頭、兄は前科15犯、姉は現役不良女子高生。そして父は、なにかの揉め事に巻き込まれたとかで、もうこの世にはいない。比菜子はそんな家族に囲まれて、少しずつ影響されながら、しかしさほど道から外れることもなく育って来たのだった。
 比菜子自身は覚えていないし、誰も教えてくれなかったのだが、物心がつく前、父の“揉め事”の相手に少しの間だけ拘束されたことがあった。それがトラウマとなり、以来比菜子は人を恐れるようになっていた。
 中学校に入った頃から、制服の着かた、言葉づかい、仕草など、姉のすべてを真似して非常に“それ”っぽく見えるようになったが、比菜子の性格は変わらなかった。友達は人並みに欲しかったが、あいにく周りから気軽に話し掛けるような愛嬌も持ち合わせてはいない。いつしか比菜子は、自ら外界との交流を遮断してしまうようになっていた。
 2年生に進級してからしばらく経ったある日、教室で楽しそうにおしゃべりしているクラスメイトを見ていてどうしようもなく居たたまれなくなり、ひとりで学校の裏庭へ出向いた。人気のないその場所で、兄から無断で拝借してきた煙草を生まれて初めて吸ってみた。勝手が分からなかったために煙を吸い込みすぎ、むせてしまった。
 そんなときだった。比菜子の咳に気付いたのか、その現場にひょっこりと秋原先生が現れたのだ。
「なにやってんだ、お前」
 比菜子を見下ろしながら、秋原は気だるげに言う。雑草の上に腰を据えていた比菜子は、煙草を隠すこともせず、横柄な態度をとっていた。しかし内心は気が気でなく、踊りそうになる目を制御するのに苦労したものだ。
「空本さーん」秋原は比菜子の前に立ちはだかったかと思うと、火のついた煙草をひょいと取り上げた。「こんなもん吸ってたらますます痩せますよー」
 ――ああ、なんだか説教されそうな雰囲気だ。
 反抗するとさらに面倒なことになりそうなので、比菜子は煙草の箱と100円ライターを差し出した。すると秋原は眉を持ち上げ、意外そうにいった。
「ん? くれんの?」
 まるで没収する気がないような、おかしな物言いだった。実際そうらしく、秋原は嬉しそうにそれを受け取った。
「1本でよかったのに。でも今、ちょうど切らしてたんだよねー。助かった。……ライターはいいや。それ、俺にはかわいすぎるしな」
 見ると、ショッキングピンク、星柄、筒状という外見のライターが比菜子の手に残っていた。母から勝手に借りたものだ、ばれたら鉄拳制裁かもしれない。顔面に飛んでくる拳を想像して比菜子が憂鬱になりはじめたとき、タイミングよく始業のチャイムが鳴り、秋原は「あーあ、授業めんどいなー」とぼやきながら背を向けた。そして、思いついたようにくるりと振り返った。
「そういや数学だっけ、5時間目。お前出ないの?」
 比菜子がうなずくと、「まあな、杉山の授業つまんなそうだしな」と下卑に笑いながら、職員室に向かっていった。そしてその途中、秋原はごく自然な動作で、比菜子が一度口をつけたあの煙草をくわえたのだった。
「あ」
 そんなことは、家族にも、誰にも、されたことがない。人付き合いをしない比菜子がそういう機会に恵まれることは皆無に等しかった。秋原がめんどくさそうに職員室へ向かい、その姿が見えなくなったあとも、比菜子は呆気にとられていた。口の中にはまだ煙の苦味が残っていて、この味を先生と共有してるんだ、と思った。
「……くだらねー」
 馬鹿らしかった。本当に馬鹿らしかった。しかし、自分のことを嫌っていればあんなことはしなかっただろう。秋原が何を考えていたのかはわからないが、いやもちろん、あのいい加減な教師のことだから、なにも考えていなかったのかもしれないが――。
 なんだか、嬉しかった。
 だから、先生。
 最後に、一目でいいから、会いたい。ただそれだけなのに。
 比菜子は職員室を出たあと、学校中を探し回った。1階の空き教室をくまなく調べたが、いなかった。2階に上がり、3つの普通教室、音楽室を調べたが、いなかった。トイレを男女両方調べたが、いなかった。掃除用具入れのロッカーも調べたが、いなかった。どこにもいなかった。
 もう時間がなかった。
 1階に下りる途中の踊り場から堀江鈴奈(女子16番)が通り過ぎるのが見えた。これで全員出発したことになる。
 比菜子は胸ポケットから煙草を取り出し、口に運び、火をつけた。あの日と同じ、無数の星がきらめくパッケージ、“ヘブンスター”。あの日と同じ、この苦い味。
 ――大丈夫。この味が残っている限り、大丈夫。
 根拠もなく自分に言い聞かせた。そうすることで、爆発しそうな心臓を静めることができた。
 鈴奈が玄関から出ていくのを確認して、煙草を床でもみ消した。右肩のデイパックを掛け直し、階下に降り立つ。見ると、月家具とお付きの兵士たちがちょうど教室から出てくるところだった。老婦人の頭髪や衣服は、すべての影を集結したような深い闇の色をしていた。
「教えて下さい」
 比菜子は向かってくる月家具らに尋ねた。
「秋原先生、どこにいるんすか」
 比菜子がそこにいるのを知っていたのか、月家具は動揺を微塵も感じさせなかった。薄暗いために表情は見えないが、どうやら微笑んでいるようだ。
「わたしも師を愛したことがあるのですよ」
 比菜子は月家具の言葉を遮った。
「どこだよ」
「教室でご覧にならなかったのかしら? 秋原先生はそれは酷い有様ですよ」
 それは充分に承知していた。赤く腫れ上がった顔も、首が飛んでいったあとの身体も見た。しかし、それでも会いたい気持ちは揺らがなかった。
「あなたにはつらい思いをさせたくないわ」
 月家具の言葉には悲愴感が含まれていた。心の底から哀れんでいるようだった。
 ――自分が殺したのに。
 比菜子は政府から支給された回転式の銃――コルトパイソン.357マグナムをブレザーのポケットから素早く取り出し、それを月家具に向けた。フロントサイトの先にある月家具の表情はよく見えない。しかし相変わらず、哀れんでいる気がした。
 ――先生。
 頭は冷えている。距離はわずか5メートル。煙草の味はまだ残っている。比菜子は、引き金にかかっている人差し指に力をこめた。
 その直後、切れ長の目を見開くことになった。
 なぜなら、ごく静かな発砲音と共に銃口から吐き出された弾が、想像した形とかけ離れていたので。それはオレンジ色をしていて、直径約5ミリの球体だった。
「空本さん」弾をひらりとかわした月家具が、こちらへ静かに近づいてきた。「驚かせてしまったわね」
 子供の頃、近所の男の子たちがこれを撃ち合っているのを見たことがある。その色とりどりの弾を“BB弾”と呼んでいたことも、かすかに覚えている。そのころは“エアガン”と“モデルガン”の区別がつかなかった。
「お詫びにわたしの口から事情を説明させていただくわ。聞いてくださる?」
 “ニセ”コルトパイソンが、比菜子の手から滑り落ちる。その音に急き立てられたように、比菜子は踵を翻し、階段を駆け上がった。しかし、いくら意表をついた行動を起こそうとも、訓練を積んだ女兵士たちにとって比菜子は赤子同然だ。階段からあっという間に引き摺りおろされる。
「これはとても個人的な話なのだけれど、わたしは今回限りでプログラム担当官を辞めようと決めているのですよ。ですからどうしても、今回だけは失敗に終わらせたくはないの。空本さん、あなたも気付いたかもしれないけれど、わたしは心臓を患っているわ。平穏に過ごすためには、大きな音や衝撃はなるべく避けなければなりません。ですから、あなたが今したような襲撃を、また学校のすぐそばで騒音が発生することを想定して、今回は特別に、大きな音を発する武器だけは支給しないという措置を取らせていただいたのよ」
 月家具は淡々と説明した。
 銃は“大きな音を発する”という唯一の条件に見事に当てはまってしまっている。比菜子は唇を噛んだ。――だからといって、武器の中に偽物を紛れ込ませるなんて、なんていやらしいやり方なんだ。
「けれど空本さん、説明書を読んでいればそれがエアガンだとわかったはずですよ。鞄の中に入っていなかったかしら?」
 尋ねられ、比菜子は思い返す。説明書はたしかに入っていた。しかし、引き金を引くだけでことは終わると思っていたので、表紙をわずかに目にしたあとはずっとデイパックの底板代わりになっていたのだ。
 ――ああ、馬鹿だ、私は。何をやるにもどこか抜けていて、後で多大な損害を被ることになる。最近は受けた記憶がないが、テストにしたってそうだった。しっかりと見直さないから、ケアレスミスがなくならないのだ。
 うつむくと、月家具のドレスのすそが見えた。シルクか何かの薄い素材で、少しの動作にも反応してひらひらと地面を滑る。波打ち際みたいだ、と思った。
 頭の中を占めた絵空事のような思想を振り払うと、比菜子は覚悟を決め、声を絞り出した。
「秋原先生に、会わせてください」
 自分の声が他人のものに聞こえた。声帯が退化したようにかすれている。月家具はしばらく沈黙したのち、ごく優しい声で言った。
「……ふたりとも、放しておあげなさい」
 そういわれた女兵士たちは、機敏な動きで比菜子から離れ、斜めうしろに退いた。ようやく枷が外れたが、比菜子は突っ立ったまま月家具を見据えていた。音もなく近付き、職員室からの光が届く位置に立った月家具は、困っているような、哀れんでいるような、微笑んでいるような、曖昧な表情を浮かべていた。やがて目の前までやってくると、比菜子の肩に手を乗せた。
「さあ……」
 じゃきっ、という音と同時に、比菜子は月家具と体を密着させた。月家具はうっとうめき、顔を歪ませ、体をくの字に折り曲げる。その腹にはポケットに隠し持っていた小型のバタフライナイフが刺さっているはずだった。少なくとも比菜子の頭の中では、その光景がありありと映し出されていた。
 しかし刺さったはずのバタフライナイフは、比菜子の手から離れるとにぎやかな音を立てて床に落ちたのだった。
 ただ呆然としている比菜子の目に映ったのは、無表情な、しかし恐ろしく冷たい月家具の顔だった。
「……ご存知なくて? 世の中には防刃ベストという便利なものがあるのですよ」
 ふらりと立ち上がった月家具は自分の腹に触れてみせた。そして落ちているバタフライナイフを拾い上げた。ぎらりと、鋭い反射光が目に焼きついた。
「残念です」
 比菜子は逃げることもなく、月家具の優雅な舞のような動作も、その手から自分を目掛けて飛んでくるナイフのことも、ただぼんやりと見つめていた。投擲されたそれは、床と平行に綺麗な軌跡を描いた。
 確実に自分に向かっているそれが、不思議に比菜子を安堵させた。
 ――やっと、やっと会える、かな、もしかして。
 鎖骨のあたり、あの首輪の下で、ナイフは活動を停止した。比菜子は直立した姿勢のまま、後ろへ倒れた。暗いせいか、それとも自分が目を閉じているのか、景色は移り変わらなかった。ごとんという音があたりに響いたが、比菜子には聞こえなかった。
 口の中に湧き上がる血のせいで、もう、煙草の味はわからなくなっていた。

女子4番 空本比菜子 死亡
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