7
 時間をさかのぼること、25分。
 久保寿英(男子6番)は学校を出たあと、目前に位置する民家を訪れた。その小さな庭にある犬小屋の陰でデイパックの中身を確かめ、これからどうするかをしばらく考えていた。校舎と隣接している体育館を見つめながら。
 バスケットボールをドリブルする音。校舎を出るときから聞こえていたその音を耳にしたとき、脳裏に石黒玲司(男子2番)の顔が浮かんだ。
 寿英はバスケットボール部の部長、玲司はエースであり、さらにふたりは親友同士だった。体育館にいるのが玲司ならば今すぐにでも声を掛けたいところだ。しかし、遠目からは中の様子を窺い知る術がない。ガラス窓は2階の高さにあり、そこから覗くことも無理だった。寿英は力なくため息をついた。
 玲司はいいやつだった。勉強の方はさっぱりだが、人の嫌がることは絶対にしないし、部内の不和を解消するのも得意だ。――部長の寿英よりも。理想的なスポーツマンたる玲司を見るたび、自分もこうありたいと願ったものだ。バスケを心から楽しみ、愛する――部長としての難儀な職務に追われ、いつしか失ってしまったそんな純粋さを、寿英は再び取り戻したかった。
 ――ああそうか、と寿英は思った。
 それが玲司でなくても、なにも戸惑うことはないじゃないか。この非常事態にこんなことをしているくらいだ、よっぽどバスケが好きなやつなのだろう。つまり、玲司と同じ精神を持つ好人物なのに違いないのだ。自分と気が合う可能性は高い。
 それに――明るい思考はさらに寿英を前向きにさせた。それに、体育館にいる人物が誰であろうと、それは2年生の頃からずっと学校生活を共にしてきた仲間に変わりない。たしかに人付き合いをしたがらない人間はいるし、寿英もクラスメイト全員と仲良くできているわけではなかったが、そんな問題は取るに足らないことだ。このクラスに人を殺すような輩など、いないに決まっているのだ。
 というわけで、寿英は仲間を集めることに決めたのだった。玄関で待ち伏せ、そこから出てくるクラスメイトたちを呼び止めるのが、まずは効率のいい手段だろう。しかしその前に、そこにいるのが無二の親友である可能性が高いので、体育館の方を優先する。
 民家を後にすると、ちょうど学校の門から女子生徒が出てくるところだった。緩やかにうねった髪が異様に長い。辺りが暗いために顔は見えなかったが、その特徴的な髪型から中原皐月(女子8番)だとわかった。ちょうどいいので彼女に声を掛けることにする。
「中原!」
 寿英はなるべく声を低くして皐月を呼んだ。
 ところが皐月はこちらを一瞥しただけで、すぐに反対側の方向に走っていってしまった。彼女の長い髪が闇の中に溶け込んだ。
 ――なんだ、あれは。
 寿英はわずかに憤りを覚えていた。逃げる理由がわからない。あいつはクラスメイトのことが信じられないのだろうか?
 眉が曇っていることに気付き、慌てて負の感情を振り払った。これから仲間を集めようというのに、相手の反応にいちいち腹を立てていては先が思いやられる。中原皐月はきっと突然の呼びかけに驚いたのだろう。次に会ったときはもう少し態度を柔らかくしなければならない。寿英は眉間を指で揉み、気持ちを改めて目的地へ向かった。
 体育館は正門から向かって右の方に建っていた。その正面には正門と別にもうひとつ小さな門があり、直接体育館の入り口へと通じている。寿英はそこからコンクリート舗装のされた敷地内に入り、観音開きの扉を何の迷いもなく開けた。
 強く射し込む白い光が目を痛める。途端に、それまで続いていたドリブルの音が鳴りやんだ。
 薄く目を開き、そこに広がる景色を見た。つやつやと照り返す床のちょうど中心あたり、ひとりの男が立っている。177センチの寿英よりもさらに背が高く、髪は金色、耳や唇にはピアスがつけられている。それはおそらく誰もがこのプログラムで遭遇するのを恐れているであろう、不良の小田春生(男子3番)だった。
 寿英はがっかりしていた。しかしそれは体育館にいたのが石黒玲司ではなかったからで、春生を恐れてのことではない。
 というのも、1年生の頃、春生がまだ黒髪でピアスも開けていなかった頃から、春生とはクラスメイトだったからだ。寿英の見る限りでは、春生はごく真面目で大人しく、何か悪さをして補導されたなんて経歴もないはずだった。授業をさぼったことは一度もなく、さらに無遅刻・無早退・無欠席だ。そんな小田春生が、寿英にはそれほど悪い人間に思えなかったのだ。
「小田、よかったよ、お前で」
 寿英が言いながら歩み寄るのを、春生は無言で見据えていた。その顔に表情はなかったが、小田春生とはもともとそういう男だった。むしろにこやかな春生を想像する方が気持ち悪い。
「お前、やっぱバスケ好きだったんだな」
 寿英は安堵の表情を浮かべ、春生に語りかけた。
 もう2年も前のことになるが、春生にはバスケ部を1ヶ月で辞めたという経歴がある。その理由を聞いてみたところ、春生の答えはただ一言、「ついていけなくなった」というものだった。あれは練習の厳しさについていけなくなったと解釈していいのだろうか。それだけの理由で諦めるとは性根の弱いやつだなと思っていたが、なるほどまだ未練は残っていたのか。
「どうだ、やっぱり楽しいだろ?」
 さらにそう付け加えると、春生は低く抑揚のない声で答えた。
「べつに」
「は?」
 その短い返事は、しかし寿英を困惑させるのに充分な力を持っていた。やけにそっけない物言いが、バスケットボールを、そして寿英をきっぱりと否定しているように感じられた。
「じゃあ、なんでバスケしてんだよ」
 寿英が問うと、春生はさらりと返した。
「暇だったから」
「……暇?」
 寿英は眉をひそめた。この最悪のゲームに放り込まれたというのに、いつクラスメイトの襲撃にあうかもしれないのに、この男は随分と余裕がある。それとも、事実が許容範囲を超えて気が触れたとでもいうのだろうか?
「うん、武器がさ。これだったからもう諦めてた」
 春生は、ブレザーのポケットから工作用のはさみを取り出し、それをちょきちょきと開閉してみせた。
 寿英はそこで自分の支給武器のことを思い出した。刃渡りは30センチほどあるだろうか、まるで刀のような細長い包丁だった(刺身用の柳刃包丁だ)。デイパックから裸のまま、さらに刃を上にして出てきたので、危うく手を切りそうになった。
 春生は続けた。
「あのばあちゃんが……月、なんとか先生がさ、禁止エリアがどうのって言ってたじゃん。だからここにずっといて、首輪吹き飛ばしてもらやあいいかって思ったのよ」
 それは寡黙な小田春生にしては大変な長話だったが、寿英はその内容の方を重大視しなければならなかった。
「おい……そんなに死に急ぐなって」
「けど、どうせ死ぬなら痛くないほうがいいじゃん。たぶん即死だろ」
 慌てる寿英に対し、春生はまったくの無表情だった。
 寿英は考える。こいつ、自殺願望でもあったのか? 生への執着がまるで感じられない。どうせ最後だからと開き直り、今まで喋っていなかったぶんだけ饒舌になっているとでもいうのだろうか?
「いや、島から逃げ出す方法とかあるはずだろ? ひとりじゃわからなくても、みんなで集まればいい案が浮かぶかもしれないし。死ぬことより死なないことを考えた方がよっぽど痛くない」
 すると春生は、えっ、と短く声を漏らし、寿英の言葉を繰り返した。
「逃げ出す方法、っすか」
 その語調にはあまりにも変化がなく、まるでドラマに初出演したアイドルのように棒読みだった。しかし、春生が嘲ろうとしていることはなんとなくわかる。
「どういう意味だよ」
 寿英が不機嫌になるのを見て取り、春生は「やっちゃった」とでも言いたげに自身の後頭部を叩いた。
「こりゃまた失礼しました。でも、ほんとにそんなこと考える馬鹿がいたとはな。びっくりした」
「……馬鹿?」
 聞き間違いかと思ったが、春生が訂正することはない。寿英は呆気にとられ、しばらく口をきくことができなかった。
 そんな相手の様子などお構い無しに、春生は抱えていたバスケットボールを人差し指に乗せ、くるくる回し始めた。表情はぴくりとも動かなかったが、それが逆に人を軽視しているように見えた。
「それよりさ、バスケ一緒にしようよ。やっぱひとりじゃつまんないから」
 つい先ほど馬鹿呼ばわりしたにも関わらず、春生は気軽にそう申し出る。寿英はいよいよ苛立っていたが、ともすれば失ってしまいそうな理性がなんとか怒りを押さえつけた。寿英はひかえめに深呼吸をした。
「俺、一応バスケ部の部長なんですけど」
 すると春生はふたたび、えっ、と叫び、大きな目をいっそう丸くした。考えてみれば、それは春生の顔に初めて表れた感情表現だった。
「俺、部長は石黒だと思ってたんですけど」
 春生が寿英のセリフを捩る。それだけでもう寿英の心理は強く刺激されていたが、春生はなおも続けたのだった。
「つーかね、思い出せないんだよねー、お前が誰か」
 ――。
 一瞬意味がわからなかった。今度こそ聞き間違いだと思ったが、健康診断で耳に異常が見られるという結果は出なかったので、その言葉を正面から受け止めなければならなかった。途端に悔しさがこみ上げてくる。
 俺はこいつに何度も話し掛けた。玲司は“恐いから”という理由で近付こうともしなかった。なのに、なんで玲司が部長で、俺は存在まで忘れられないといけないんだ?
 不本意ながら泣きたくなる。涙が視界をぼやけさせたことで悔しさはさらに増した。それもすぐ怒りに姿を変えた。
「お前な、俺と対決して勝てると思ってんのか? 俺は1ヶ月で辞めた根性なしとは違うんだよ。人を馬鹿にするのも大概にしろよ?」
「ああ、思い出した」春生は何度かうなずき、寿英をまじまじと見つめた。「お前、あれね。俺に部活やめた理由しつこく聞いてきた、あの時のうぜーやつね」
 そこでようやく、寿英は気付かされることになった。
 ――考えないようにしていたが、もとから気に入らなかったんだ、こいつのことは。打ってもまったく響かない、とても感じの悪いやつだった。
 それに本当は、最初から不満だった。国が未来ある中学3年生に殺し合いをさせること。柳刃包丁に指を切られそうになったこと。中原皐月が逃げたこと。小田春生が自分を馬鹿にすること。それに――石黒玲司が、自分より人望を集めていること。とても、不満だったのだ。
 次の春生の言葉が、ついに寿英の感情を爆発させた。
「バスケ部やめた理由な、教えてやるね。勘違いされたままでも困るから。俺は失望しちゃったのね。バスケ部のレベルがあんなに低いなんて思ってなかったからさ。なのにお前らはまた、アホみたいに青春かけちゃってるだろ。スポ根ドラマかよって、そのうち夕日に向かって走っちゃうんじゃないのって思ったら、もうついていけなくなったんだ」
 頭の隅から、理性の崩壊する音が聞こえた気がした。
 寿英は左肩に掛けていたデイパックを力任せに放り投げた。それが、がしゃん、ばしゃんと派手な音を立てて床にぶつかり、右の壁に向かって滑っていったが、目には入らなかった。このあとに予定していた仲間集めのことはすっかりと思考から取り払われていた。ただ、頭に来た。
「受けて立ってやるよ! それで俺とお前のどっちが強いか思い知らせてやる!」

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