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「それではみなさん。これからひとりずつ、ここから出発してもらいます。出席番号順、男女交互です。1人が出発したあとには2分の間隔を空け、次の人が出、2分待つ、それの繰り返しです。ひとりめの出発者はすでにくじで決めてありますので、さて、これから発表することにしましょう」
 説明する月家具の顔はいささか上気していた。先ほどの“レッスン”の名残だろう。
 月家具はおじさん兵士からごく一般的な茶封筒を受け取り、中から白い紙を取り出した。美依は、もし自分の名前を呼ばれたらどういう反応をしよう、うろたえようかな、などと考えながら発表を待った。
「うっ」
 そのとき、突然月家具がよろめき、教卓に片手を突いた。
「奥様!」
「先生!」
 3人の兵士たちはすぐさま月家具に駆け寄り、口々に声を掛けた。大丈夫だとでも言いたそうに月家具は何度か頷いたが、服の胸元を握り締める手と顔面の蒼白さが説得力を消している。
 おじさん兵士が持ってきたパイプ椅子に月家具は腰掛けた。2人の女兵士は月家具に寄り添い、特に冴えない方は今にも泣き出しそうな顔をして、先生、先生、としきりに呼びかけている。水を打ったように静かな教室でただひとつ色めく壇上は、さながら演劇の舞台だった。生徒はただあっけに取られていた。
 そんな生徒たちの様子に気づいたのか、具合の悪い担当官のかわりに、おじさん兵士が切り出した。
「何か質問があれば、受け付けますが」
「あの……」
 誰かが声を上げた。
 クラスメイトたちが一斉に注目した方向を、美依も見てみる。廊下側から2列目、長谷ナツキの右隣に広瀬仁(男子14番)が立っていた。勇気をありったけ振り絞っているのだろう、いつものとろけそうなほど柔和な表情は影をひそめ、眉間にはしわが寄っている。
「なんですか」
 おじさん兵士が答えようとしているところに、月家具が割って入った。どうやら落ち着いたようだ。さきほどの様子はなにかの発作のようだが、心臓でも患っているのだろうか。
 大ボスの登場に表情をいっそう強張らせながらも、仁ははっきりと言った。
「あの、お風呂とかって、入れるんですか」
 ――?
 入浴可能か否か、それがわかったところで、一体誰がこの非常時を優雅に浴室で過ごしていられるだろうか。その場違いな質問に、クラスの大半は困惑したようだった。月家具も例外ではないらしく、椅子に座ったまま訝しそうに聞いた。
「……お風呂?」
「あの、えーと、前列の人とか、気分悪いと、思うんですけど……」
 仁はつかえながら、なんとか言葉をつなげていった。どうやら秋原の血を浴びたクラスメイトを気遣ってのことらしい。当の本人は無傷であるにもかかわらずだ。いかにも人の良い仁らしい発言だった。
 月家具は青い顔をしながらも、仁の言わんとすることを理解したように、フフフと笑った。
「残念ながら水道は止めてあります。ですが、温泉が湧いているそうですので、それを利用するのもいいでしょう」
 温泉、なんて魅惑的な響きだろう。だが美依にはそれを訪ねる大義名分がなかった。それ以前に、入っているところを襲われるなんていう間の抜けた死に方はしたくない。
「わかりましたか?」
 そう言われた仁は、返事もしないまま席に着いた。
 ふらつきながら、月家具は再び教壇に立った。先ほど茶封筒から引き出した紙を見る。そして、青い顔にニヤリと笑みを浮かべた。
「お待たせしてしまったわね。では改めて、最初の出発者を発表します。男子17番、馬渕謙次くん、あなたです」
 美依の右隣、そして吹坂遼子の左隣の席に座っている馬渕謙次(男子17番)に視線が集まった。同時に謙次がさっと顔を上げる。最初に自分が指名されることを想像していなかったらしく、その端整な顔から表情と顔色が抜け落ちていた。
 クラスメイトのうち、何人かは期待を抱いたかもしれない。馬渕謙次なら外で後続を引き止めて集めるだけの力がある、大勢で知恵を絞ればきっと脱出方法も見つかる、と。
 謙次は誰もが認める完璧人間だった。容姿、頭脳、運動神経と三拍子がそろい、その上人柄もいいとくる。少々騒がしいが、クラスがよくまとまっているのは、謙次の統率力のおかげだった。実際に体育祭での司令塔はやはり彼で、去年3組は見事に優勝旗を手にした。
 だが、クラスメイトに集まられてはなにかと不都合だ。少なくとも美依にとっては。大人数が固まってしまうと誰も殺し合ってくれないし、美依自身も身動きが取れなくなってしまう。
 その考えも、謙次の様子を見ると杞憂に終わりそうだった。意気消沈している今の彼に、とてもそのような気力があるとは思えない。
「机の中やその周辺に、あなた方の荷物があるかと思います。必要であれば持っていってください」
 生徒たちは一様に机を調べ始めた。美依も手を突っ込んでみたが、入っていたのはペンケースと家庭科のファイル、そして畳まれた黄色い布――美依のお気に入りのエプロンだけだった。家庭科室にあったものをそのまま運び込んできたらしく、プログラムの中で役立ちそうなものはなかった。通学用のかばんにはお菓子やジュースが入っていたのだが、それらしいものは見当たらない。
「デイパックを受け取ったあと、前方のドアから出てください。右へ真っ直ぐ進めば出口はすぐそこです。靴は下駄箱に入っていますので、自分のものは各自探してください。くれぐれも廊下でうろつかないように、いいですね。……それでは馬渕くん、準備はできましたか?」
 そう尋ねられた謙次は、「はい」とひとりごとのように答えた。
「どうぞこちらへ」
 女の子たちの熱い視線を浴びた謙次は、月家具の促すまま、ふらふらと歩いていった。美人兵士からデイパックを受け取ると、やがて戸口の向こうへ消えた。廊下の軋む音だけが響いた。
 ――いよいよ暇になった。
 1人目が男子17番。クラスの人数は男女とも19人。そして1人あたりに設けられるインターバルは2分。さて、ここで問題です。出席番号女子9番の美依さんが出発するのはあと何分後でしょう。
 数字の羅列を見るだけで眩暈がしてしまうたちなので、とにかくすごく後、ということにしておいた。昔から暇をつぶすのは苦手だ。テレビでもあれば黙って過ごしていられるのだが、順番がくるまでこのままただ座っていられるかどうか、あまり自信がない。
 そうしてしばらく経った頃、とうとう別所亮(男子16番)がしゃくり泣きを始めてしまった。親友の馬渕謙次がこの場にいなくなったことで心細くなったのかもしれない。それに、席が教卓の目前に位置することも関係しているだろう。担当官は恐ろしいし、秋原の血をもろに浴びているしでは、緊張の糸が切れてもおかしくなかった。床にこぼれた水に滑って転んだ、ただそれだけのことで泣いてしまうくらいの泣き虫だ、堪えろというのは酷かもしれない。
 亮につられたのか、女の子たちも思い出したように泣きだした。教室はまるで葬式のように、ますます暗鬱な空間と化していく。古屋祥子(女子15番)有川絵里(女子1番)久枝布由(女子12番)が泣いているのは美依の席からも確認できた。
 久枝布由といえば底抜けに明るいひまわりのような子なので、泣き顔に違和感を覚える。優しい布由のことだ、仲間たちが殺し合わなければならない運命を恨んでいるのだろう。
 そのすぐ前の席、布由と同じバスケットボール部の福谷佳耶(女子14番)がひかえめに振り向き、布由の様子を心配そうに窺っていた。目はやはり潤んでいる。――こんなときくらい自分のことだけ考えとけばいいのに、いい人ってのは大変だね。
 一方で、冷静に見える人物も何人かいた。
 たとえば、窓際の最前列に座っている小田春生(男子3番)だ。金色の髪や大きな体に似つかわしくないくらい大人しく、月家具や兵士たちを見据えている。彼のことを気に入っている長谷ナツキ曰く、“身長に不釣合いなほどかわいらしい”その大きな目で。何を考えているのか、横顔から読み取ることはできない。
 そうして出発の時間まで微動だにしないつもりなのかと思ったが、春生は意外にもあっけなく、窓のほうへと視線を移した。そしてあろうことか、その口から大きなあくびを繰り出した。
 普通の神経を持った人間ならば、こんな状況であくびなどできないはずだ。しかし小田春生からは緊張感がまるで感じられなかった。あくびだけでは飽き足らず、肩まで揉み始めている春生を見て美依は思う。この男が多数のクラスメイトから“やる気になっている人”と見なされるのは必至だろう。不良という肩書きも、警戒心を助長して余りある。この男を尾行すれば、ごく高い確率で面白いものが見られそうだった。もっとも出席番号が離れていることもあり、春生自体を探すのに時間がかかりそうだが。
 そう考えながら、ふと右の方に視線を移したときだった。途端に全身が凍りつき、血の引く音がさあっと耳の奥を駆け抜けていった。
 美依の視線の先には、こちらを凝視している吹坂遼子の姿があった。メタルフレームの眼鏡ごし、ふたつの目が氷のように冷えていて、それはメデューサを彷彿とさせる。メデューサ――見るものを石に変えてしまうというギリシャ神話の怪物――。美依は呪いにかかったように身動きが取れなくなっていた。
 長い髪に隠れると、誰も自分など見ていないと思い、自分の表情に注意が行き届いていなかった。迂闊だった。相手は勘が鋭く、疑い深い。取り返しがつかないミスをした。
 吹坂遼子に、笑顔を見られた。

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