3
 秋原は女兵士によって教室の外に運び出されたが、結局血液の始末はされないままだった。やがて目はその赤色に慣れてしまった。
「ありがとう、源造」
「いいえ、奥様、ご無事でなによりです」
 女兵士たちが作業をしている最中、そんな会話が月家具とおじさん兵士の間で交わされているのを、美依は聞いた。月家具の体が血に汚れていないこと、おじさん兵士の背中が赤く染まっていることを考えると、おそらく彼が身を挺して奥様をお守りしたのだろう。いくら上司に対してといえ、この行動は少し過剰ではないだろうか。
「さて、プログラムのルールについてですが、みなさんもご存知の通り、ただ殺し合いをしていただければ結構です」
 月家具は淡々と説明をはじめた。それを聞きながら、美依の意識はしだいに内の方へと傾いていった。
 ――確かに、プログラムに参加したいとは思っていた。中学3年生に上がってからは特に、狂おしいくらいの憧れが胸を支配した。だが、クラスメイトを殺したいと思ったことは一度もない。それは少しばかり不健全なだけの、未知なる世界への単純な好奇心だった、はずだ。
「あなた方のことは、今夜、ニュースによって告げられます。ご家族の方にはすでに連絡済みですので、心配しないように」
 ビデオ屋でレンタルする映画は恋愛ものよりホラーもの。趣味は殺人事件などの新聞・雑誌記事をスクラップすること。美依とはそういう女の子であり、その冷酷さを自覚しているつもりだった。しかし、その認識は甘かったのだといま悟る。たとえあまり良く思っていなかったにしろ、よく見知った人間が目の前で死んだというのに、自分は悲しみを感じないどころか胸を躍らせているのだ。まさかこれほどまでに情を欠いていたとは――。
「優勝した人は家に帰ることができます。さあみなさん、どうぞ全力を尽くして……」
 美依は思い返した。そもそも何故、プログラムに参加したかったのか。怖いもの見たさ? 世界の裏側を覗いてみたかった? ――いや、それだけではない。
「存分に殺し合ってください」
 美依の頭にひらめくものがあった。
 ――そうか。
 見てみたかった。
 “傍観”したかった、本物の殺し合いを。
 自分と同じクラスの少年少女たちが、醜い形相で命を奪い合い、温かな血を噴き出す。ホラー映画などでは到底味わえない臨場感を、この肌で感じたかったのだ。
「武器はこちらで用意しています」
 月家具がそう言うと、2人の女兵士は廊下から大きなデイパックを次々に運び込んだ。38人分あるらしく、全て運びあがる頃には床に山積みになっていた。下の方は血の池に浸ってしまったので、あれには当たりたくないなと美依は思った。
「このデイパックの中には、武器、地図、食糧等が入っています。武器はひとつひとつ種類が異なり、当たり外れがあります。つまりは女子のみなさんも心配無用。強力な武器を見事引き当て、力で敵わない男子にも目に物を言わせてやりましょう」
 月家具はホワイトボードに向かい、“月家具千癖”という文字の隣に、碁盤のような網目状の四角を書いた。その上からいびつなハート型を書き込み、左寄りの位置に×の印をつける。最後に方位記号を右下へ加えたところで手を止めた。どうやら地図らしい。
「ここは瀬戸内海に浮かぶ小さな島です。名物は蜜柑、温暖な気候に恵まれ、緑にあふれた美しい場所です。魚釣りの名所としても知られ、沿岸ではもちろん、ここから東へ1キロほど行ったところにある池で釣堀を楽しむこともできるそうです。機会があれば立ち寄ってみるのもいいでしょう。そしてこのバツ印、ここがあなた方の今いる学校となります」
 地図の上部に1から10までの数字、左横にはAからHまでのアルファベットが書き込まれる。
「いいですか、たとえば、一番左上の升目をA=1エリアと呼ぶことにしましょう。その他の升目にも同じように、それぞれ記号が割り当てられていています。これはあなた方の首についている機械に関係してきます」
 月家具が自身のしわだらけの首を指す。そこでようやく首輪に気付いた生徒は、各々の首を触ってはぎょっと驚いていた。
「この機械はみなさんの心臓パルスを感知し、生死の状況、現在位置などの情報をわたしたちの元へ電波で送ってくれます。そういった基本的な機能の他に、この機械にはもうひとつ重要な役割が与えられているのですが……その前に定時放送の話をしましょう。0時、6時、12時、18時の1日4回、全島に放送を流します。内容はそれまでに死んだ人の名前、そして放送より1時間後、3時間後、5時間後に入場が禁止となるエリアの記号です。聞き逃さないように。さて、入場禁止とはどういうことかと思われるでしょうが、そこで関係してくるのがこの機械の“もうひとつの役割”です。時間を過ぎても禁止エリア内に留まっていた人がいた場合、首の機械にこちらから電波を送ります。そうすると……」
 月家具は意味ありげに間を取り、言った。
「爆発するのです」
 ――さっきの秋原先生みたいに首が吹っ飛んでしまうわけね。
 おかしくてたまらなかった。自分の非道さを一度認めてしまったことで、肩の荷が下りたようにすっきりとした気分になった。笑いたい衝動に駆られる。クラスメイトの殺し合いと、それを傍で見ている自分の姿を思い浮かべた。今まで知らなかった自分の本性がどうしようもなくおかしかった。
「その機械には強力な爆薬が積んであります。無理にはずそうとしても起爆するようにできていますので気をつけて」
 生気の抜けた生徒たちを後目に、月家具は続けた。
「全員が学校を出て20分後に、ここ、E=3が禁止エリアに指定されます。出発した後はどこへ行くのも自由ですが、そういうことですので学校からはすぐ離れた方がいいでしょう。そして24時間に渡り死亡者が出なかった場合は時間切れ。生き残っている全員の機械が爆発します。海を泳いで脱出しようと考える人もいるかもしれませんが、先ほど説明したとおりあなた方の位置はこちらで把握していますし、東西南北を4隻の船で見張っていますので、下手なことは企てないほうが無難です」
 “時間切れ”となった事例がほとんどないことは、MDや、プログラムのことにやたら詳しい父の話を聞いて知っていた。生徒たちには知らされていないが、今回もおそらく例年通り首輪には盗聴器が仕掛けられているはずで、こちらの行動は担当官たちに筒抜けだ。逃げ道は皆無に等しい。
 月家具は茫然自失とした生徒たちを呼び覚ますように、語調を強くした。
「まだ信じられない人もいるようですね。気をつけてください、他の人はもう、やる気になっているのですから」
 “やる気”。
 その言葉が飛び出した途端、教室内の空気がにわかに張り詰めた。多くの生徒が怖々と周りの様子をうかがい、飛び交うその眼差しは疑心に満ちている。これがたった数時間前まで仲良く調理実習をしていた3年3組なのか――そう思うと笑いがこみ上げてきた。
「それではこれより、最初で最後のレッスンをおこないます。さあみなさん、起立してください」
 月家具にそう言われたが、誰も動こうとしなかった。見かねたように、2人の女兵士が腰元からククリナイフを取り出し、構える。刃渡りが50センチほどもあろうかというナイフの迫力におののいた生徒たちは、ようやくそろそろと立ち上がり始めた。
 全員が立ち上がったのを確認した上で、月家具は口を開いた。
「それでは、わたしのあとに続いてください。『私たちは、殺し合いをする』」
 ぽつりぽつりと、そこここから声が聞こえてくる。英語の時間、全員で教科書を読むときにも同じような現象が見られたが、辛気臭さはその比ではなかった。月家具は繰り返した。
「もっとお腹に力を入れるのよ。『私たちは、殺し合いをする』」
 美依も続いた。他のクラスメイトと同じように、ごく小さな声で。お腹に力を入れてと言われても勝手がわからない。
「声が小さい! 『私たちは、殺し合いをする』!」
 語気を強めた月家具につられて、生徒たちの声量が増した。美依もまた声を張り上げた。不思議なもので、こうして実際に口にしてみると、殺し合いに対する抵抗が薄らいでいくような気がする。
「さあ、次です。『やらなきゃやられる』!」
 そのフレーズも3回続けた。
 美依の胸を爽快感が占めていた。大きな声を出したことで、気の迷いがすっかり吹き飛んでしまったようだ。
 みんながその言葉どおりに殺し合ってくれればいい、と美依は思った。

【残り38人】