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 この教室内に“プログラム”を知らない者はひとりとしていないだろう。その概要は小学4年生用の教科書から掲載されているし、辞書にも明確に記述されている。要約するとだいたいこんな感じだ。

 “プログラム”――正式名称、戦闘実験第68番プログラム。全国の中学3年生のうち、毎年50クラスが任意に選出され、同都道府県内の隔離された会場にて実施される。内容はごく単純、クラスメイト同士に、最後のひとりになるまで殺し合わせる。生存者、すなわち“優勝者”には、生涯の生活保障と総統閣下直筆のサイン色紙が贈呈される。

 この間、長谷ナツキが言っていた。
「プログラムに選ばれたらどうしよう」
 吹坂遼子はこう返した。
「この国にいくつ中学校があると思ってんの?」
 それでその話は終了。
 遼子の言う通りだった。美依にとっては、宝くじの一等に当選する方がよっぽど現実的だ。もしかしたらプログラムに参加できるかもしれないからと、験かつぎに“御守り”を身に付けていたのだが、それが馬鹿げた空想だということは自分でもわかっていた。だから今日を機に持ち歩くのをやめようと決心した。その矢先にこれだ。
 胸ポケットに視線を落とすと、鮮やかな星条旗柄のラベルが見えた。
 春休み、父からもらったそのMDの内容は、3年前に行われたプログラムの盗聴記録だった。1枚目はプログラム担当官の登場から戦闘開始までの様子、2枚目からは優勝者の声の一部始終が録音されていた。それもただのゲームではなく、二人の脱走者を出すという大事件が起こった伝説のゲームの記録だというのだから、MDを聴いたときの喜びはとても言葉で言い尽くせない。どういう経路を使ったのか思い及ばないが、国家機密を入手した父の力量にほとほと頭が下がった。
「鋭い人もいるものね。今のはどなた?」
 フフフ、と、プログラムの担当官だと思われる女が笑う。しかしその問いかけに声の主が名乗り出る気配はない。美依は直感で古屋祥子(女子15番)だと思ったが、彼女はただ俯くばかりだった。
 女はしばらく間を置いたあと、空気を切り替えるように両手を鳴らした。
「では、自己紹介をすることにしましょう」
 教卓に乗っている黒いペンを拾い上げると、呆然としている生徒たちに背を向け、ホワイトボードになにやら書き始めた。さらさらと走るペンから巧みな文字が姿を現す。“月家具千癖”。どうやらこれが女の名前らしい。
「ようこそお越しくださいました。わたくしはツキカグチグセ、皆さんの新しい担任です。よろしくお願いします」
 女はふわりと振り返り、流れるような調子でセリフを発した。偽名だろうかと思ったが、MD内の奇妙な新担任も、父が言うには本名だったらしい。
「繰り返すようですが、先ほどどなたかが言ったとおり、みなさんは“プログラム”の対象クラスに選ばれました」
 騒然となる場面を想像していたが、教室内は相変わらず静かなままだった。誰も、何も、言わなかった。
 微動だにしない生徒たちの背中を眺めながら、美依は考えた。この様子からするとまだ事実を受け止められないのかもしれない。自分たちが殺し合いをしなけらばならないこと、そして、相手はクラスメイトだということを。わからないでもない。事前に情報を多く得ていた美依でさえ、夢だという可能性を捨てきれないくらいだ。
「で、先生さ……」
 月家具が言葉を切ったと同時に、ややくぐもったハスキーボイスが響き渡る。予想外のことにも月家具は動じず、余裕の笑みさえ見せた。
「はい。あなたは空本さんね」
 吹坂遼子の向こう、廊下側の後ろから3番目の席に視線が集まった。途端に教室中を緊張が走る。美依もまたちょっとした衝撃を受けていた。
 ――空本比菜子(女子4番)が喋った!
 比菜子は言うなれば孤高の不良だ。彼女が誰かと連れ立っているところなど美依は一度も見たことがない。学校に顔を出すこと自体まれだったが、ときおり授業で教師から指名を受けたときなど、鋭い眼光だけで質問を跳ね返すという荒業を披露してくれる。その寡黙さが近寄りがたい雰囲気を増大させるのだ。
 その空本比菜子が発言したということだけでも意外なのに、その内容はあっけに取られるほど彼女に似つかわしくないものだった。
「秋原先生は、無事なんすかね?」
 そう、その重々しい口調で紡がれたのは、担任の秋原義昌先生を気遣う言葉だった。言われてみてはじめて気づいたが、確かに部屋中のどこにも秋原の姿は見えない。ただ、もともといてもいなくても変わらない、やる気ゼロの教師だ。不在だとわかったところで美依にとってはどうでもいいことだった。
 しかし空本比菜子にはどうやら見逃せない事象らしい。自分より先に先生の身を案じているのだ、あの空本比菜子が。一体どんな心境の変化があったのだろうか。それとも元来、気質の優しい女の子だったのか。
 ああ、と月家具は呟き、前方のドアを一瞥した。
「フフフ……きっと無事でしょう」
 月家具は満面に凄味のある笑みをたたえると、いっそう明瞭な口調で話し始めた。
「これから前担任の秋原先生をお呼びします。さあ! マヤ、亜弓!」
 月家具がパンパンと手を叩くと、前方のドアが勢いよく開いた。直後に教室へ入ってきた3人の人間は、生徒の方を向き、横一列に並んだ。
 両端は専守防衛軍の兵士たちだ。片手には刃が緩やかにカーブした大きなナイフを持っている(極めて殺傷能力にすぐれ、インドあたりの軍隊で実用されているという“ククリナイフ”。ずいぶんマニアックだ)。月家具の隣にいるおじさん兵士と同様、銃器は持ち合わせていない。どちらも若い女性で、歳は自分たちとそれほど変わらないように見えた。向かって左の方は、兵士のくせにおどおどした冴えない感じの女の子。右は眩しいほどの美人で、自信に満ちているのが見て取れる。
 その女兵士たちに両脇を抱えられている人物を見て、生徒たちは固唾をのんだ。首を垂れていて顔は見えないが、その人物はたしかに、月家具が前担任と呼んだ秋原義昌先生だったのだ。
 美依が常々怪しい研究者みたいと思っていた白衣に、赤い縦長のしみがついていた。吐血した跡だろう。口元から今もぽたぽたと血液が滴り落ちている。
 重さに耐え切れなかったのか、不意に冴えない方の兵士が体勢を崩し、つられて秋原先生の頭もがくんと揺れた。それにより、一瞬彼の顔が生徒の目に晒されることになる。思わずあっと声を上げそうになった。
 いつも無愛想なその顔は、それが秋原先生のものだと判別するのも困難なほど、ぶくぶくと腫れ上がっていた。紫色の痣があちこちにできていて、目は充血し、歯は抜け落ち、鼻がおかしな方向に曲がっていた。生きているのか死んでいるのか判別しがたかった。
「マジか……」
 空本比菜子が、先ほどよりいっそうかすれた声を絞り出した。細い顎がかすかに震え、顔から見る間に血の気が引いていった。
 その見るも無惨な担任の姿を前にして、美依は胸がじわじわと熱くなるのを感じていた。腹の底から形容しがたい感情がせりあがってくる。恐怖とも嫌悪とも違う――なんだろう、この気持ち。
 女兵士たちはぐったりとした秋原を抱えるようにして、壁に立てかけてあったパイプ椅子に座らせた。秋原の上半身が仰け反り、再びあのおぞましい顔があらわになる。作業が終わるのを確認して、月家具は秋原に尋ねた。
「生徒たちになにか仰りたいことはございますか」
 う、と低くうめくが、言葉らしい言葉は発さない。月家具はしばらく返事を待ち、それでも秋原が何も言わないことを確認すると、さっと生徒側に向き直った。
「秋原先生はあなた方を置いて逃亡を図られました」
 それを聞いた美依は、やっぱり、と思った。美依が日頃から感じていた秋原からにじみ出る心だてのいやしさは、やはり本物だったのだ。窮地に立たされたときの行動が秋原の性格を物語っている。
 月家具は続けた。
「そのことをわたくしは批判するつもりはありません。誰しもが自分の身をかわいいと思うものです。ただ、その後が軽率でした。……そうですね、マヤ」
 月家具は冴えない兵士を見やった。よく見れば、すまなそうにうつむいているその兵士の頬にひっかいたような傷があった。話から察するに秋原先生の仕業だろう。この国に住んでいる者であれば、政府の人間に楯突くとどうなるかよくわきまえなければならないのに。
「顔は役者の命です。あなたはこの子の一生をめちゃめちゃにするつもりですか!」
 月家具のテンションが急激に上がる。なぜ役者などという単語がここで出てくるのかよくわからないが、月家具の鬼気迫る表情に教室中が圧倒されていた。
 それからの展開はあっという間だった。月家具がぱんと手を鳴らしたのを合図に、美人兵士がククリナイフを構え、秋原の頚椎を目掛けて大きく振りかぶった。意外なほどあっさりと、頭と体が切り離れた。
 切断面から血の噴水が天高く吹き出し、前列の生徒たちに降り注ぐ。ぽかんと口を開けている生徒たちの上を、秋原の頭部が飛んでいく。途中、秋原の腫れ上がった目と思い切り視線がぶつかってしまった。
 ぎゃっという小さな叫び声が上がり、次にがたんと椅子の倒れる音がする。見ると、美依の斜め後ろで藤井雪路(男子15番)がひっくり返っていた。どうやら生首に直撃されたらしい。美依の位置からは机が邪魔をして見えないが、おそらく雪路の向こうに頭が転がっているのだろう。
 前方に首なし人間。その正面に血をかぶった生徒たち。飾り気のない教室を彩る赤い飛沫。とんだ地獄絵図だ。
 言葉を交わすタイミングを失った生徒たちは、もうぴくりとも動かない胴体を、もしくは首だけになった秋原を、ただただ見つめるばかりだった。そんな中、美依の心臓はどきどきと早鐘を打っていた。
 ――はは、なるほど。
 秋原先生の痛々しい顔を見ても同情心は湧かなかった。痛そうとは思ったが、兵士に怒りを感じることはなかった。ただ胸が熱かった。――なるほど。
 あたしは、興奮してたんだ。

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